『さよならノワール』第6話では、交通事故によって6歳の将斗が意識不明の重体になってしまいます。
事故について母親のあかりはずっと自分を責め続けていましたが、SNSでは「虐待していたのではないか」といった批判まで広がり始めます。
やがてあかりは、その言葉を受けるうちに、児童相談所の職員へ「虐待をしていた」と認めてしまいます。
この記事では、あかりがなぜ将斗を手放そうとしたのかを整理しながら、夏海の言葉を通して「良い母親」とは誰が決めるものなのかを解説します。
また、突然仕事を休んだ鴨居についても、その過去に何があるのか考察します。
3行まとめ
- 交通事故で6歳の将斗が意識不明となり、母・あかりは自分を責め続ける
- SNSで「虐待していたのでは」と批判され、あかり自身も母親としての自信を失っていく
- 将斗を児童相談所へ預けようとするが、最後は迎えに行き、親子で再び一緒に歩き出す
第6話のあらすじ
人気ボーイズグループ「CKO」のメンバー・水沢恭太が運転する車にはねられ、6歳の林田将斗が意識不明の重体となる交通事故が発生。
事故当時、母親のあかりは将斗と繋いでいた手を、仕事の電話がかかってきたため一瞬だけ離してしまう。そのことを悔やみ続けるあかりに、さらに追い打ちをかけたのがSNSでの誹謗中傷だった。
水沢側からの謝罪を拒否したことをきっかけに、ネット上ではあかりへの批判が拡大。自宅にはゴミまで投げ込まれ、児童相談所には「将斗を虐待しているのではないか」という通報まで入る。
追い詰められたあかりは、児童相談所の職員に対して突然「私は将斗を虐待していました」と告白。将斗が退院した後は、一時保護してほしいと自ら申し出てしまう。
一方、あかりへの嫌がらせや炎上を仕向けていたのは、水沢の所属事務所社長・郷田弘樹だったことが判明し、郷田は逮捕された。
それでもあかりは、自分には将斗を育てる資格がないと考えていた。そんなあかりに夏海は、自分の過去を打ち明け、「良い母親かどうかは将斗が決めることだ」と伝える。
そして将斗の退院当日、あかりは絵本を手に病院へ駆けつける。将斗を抱きしめて謝るあかりに、将斗は「大丈夫だよ、僕がいるよ」と笑いかけ、親子は再び支援を受けながら一緒に歩き出すことになった。
あかりは本当に将斗を虐待していたのか
SNSの言葉から自分を「悪い母親」だと思い始めた
あかりは事故の直後から、将斗とつないでいた手を離したことを責め続けていました。そこへ重なったのが、SNSでの誹謗中傷です。
水沢への謝罪を拒否したことをきっかけに、あかりは被害者であるにもかかわらず批判の対象となり、「母親にも責任がある」「虐待していたのではないか」といった声まで向けられるようになります。
事故の原因を自分に求め続けていたところへ、「悪い母親だ」という見方を外から突きつけられたことで、あかり自身もそうかもしれないと受け入れ始めてしまいました。
何もしてあげられない罪悪感
あかりは離婚後、一人で生活費を稼ぐために働き続け、食事も十分なものを作れませんでした。さらに、遊んであげる時間も少なく、買った絵本すら読んであげられていない。お金がないため、息子の好きな新幹線に乗せてあげたり、習い事をさせたりすることもできませんでした。
SNSで「虐待」という言葉を浴びせられたことで、それまでの生活を一つずつ振り返り、「これも虐待だったのではないか」と考えるようになります。
将斗にしてあげられなかったことが積み重なり、あかりの中ではいつしか「十分にしてあげられなかった母親」から「将斗を虐待していた母親」へと自己認識が変わってしまったのです。
「虐待していた」は半分本当で半分嘘だった
そのため、あかりが児童相談所の職員に語った「私は将斗を虐待していました」という言葉は、完全な嘘だったとも言い切れません。
ただ、あかり自身は、将斗に十分なことをしてあげられなかったことや、一緒に死のうと考えたことまで含めて、自分は母親として失格だったと本気で思い始めていました。
さらに、将斗を児童相談所に預ければ、炎上や嫌がらせから息子を遠ざけることもできます。
つまり「虐待していた」という告白には、将斗を自分から離して守ろうとする嘘と、自分にはもう母親を続ける自信がないという本心の両方が混ざっていたのでしょう。
あかりは嘘をついて将斗を手放そうとしたというより、周囲から浴びせられた言葉によって、自分自身を「悪い母親」だと信じ込むところまで追い詰められていたのだと思います。
あかりはなぜ将斗を児童相談所へ預けようとしたのか
炎上から将斗を守ろうとしていた
あかりが将斗を児童相談所へ預けようとした理由の一つは、自分から離すことで息子を守ろうとしたからでした。
SNSで個人情報が晒された結果、自宅にはゴミを捨てられ、さらに見知らぬ女性があかりを襲ってきます。その際、あかりは将斗がその場にいなかったことに対して「よかった」と漏らしています。
「虐待していた」と認めれば、将斗は自分から引き離される。あかりはその仕組みを利用してでも、息子を炎上や嫌がらせから遠ざけようとしていたのでしょう。
「もう母親を続けられない」という気持ちも本物だった
ただし、将斗を守るためだけに児童相談所へ預けようとしたわけではありません。
あかりはホテルへ避難した際、子どもと離れて過ごせることに少し解放されたような様子を見せています。そして将斗の意識が戻ったという知らせを受けた時にも、すぐに喜ぶのではなく戸惑いを見せていました。
さらに夏海には、「子どもを育てる自信はもうない」「無理です」と本音を打ち明けています。
一人で働きながら将斗を育て、思うようなことをしてあげられない生活を続けてきたあかりは、事故や炎上以前から相当な負担を抱えていたのでしょう。
そこへ事故と誹謗中傷が重なったことで、張り詰めていたものが切れ、「もう母親を続けられない」というところまで追い詰められてしまったのだと思います。
将斗を愛することと育児に疲れることは矛盾しない
あかりの姿が印象的なのは、将斗を手放そうとしたからといって、息子への愛情まで失っていたわけではないところです。
将斗が危険に巻き込まれなかったことには安堵し、自分と離れることで安全になるなら児童相談所に預けようとする。一方では、育児から離れられることにほっとしている自分もいました。
一見すると矛盾しているようですが、どちらもあかりの本心だったのでしょう。
子どもを愛しているからといって、育児につらさを感じないわけではありません。逆に、育児に疲れて離れたいと思ったからといって、子どもを愛していないことにもなりません。
第6話では、あかりを単純な「良い母親」や「悪い母親」に分けるのではなく、将斗を大切に思いながらも母親であり続けることに疲れ切った、一人の人間として描いていたように思います。
夏海はなぜ自分の娘について話したのか
被害者に事故当時の娘を重ねていた
夏海は今回の支援で、将斗に自分の娘・夕夏を重ねていました。
夕夏も6歳の時、夏海が仕事で家を離れていた間に外へ出てしまい、交通事故に遭っています。幸い命に別状はありませんでしたが、それをきっかけに夫婦関係は壊れ、夏海は娘と離れて暮らすことになりました。
そのため、どうしても過去の自分を思い出してしまい、絵梨子に「今回冷静じゃない」と打ち明けていました。
支援する側の夏海も冷静ではいられなかった
夏海はこれまで、被害者に答えを押しつけず、本人が立ち上がるまでそばにいることを大切にしてきました。
しかし今回は、あかりが「将斗を虐待していた」と告白した時、その言葉をうまく受け止めることができませんでした。
支援室に戻った夏海は、自分があかりと将斗を引き離すべき状態なのか、判断できなかったことを貴子に打ち明け、情けないと落ち込みます。
それに対して絵梨子は、完璧でなくてもいい、弱さや苦しみを抱えたままでもいいと夏海に伝えました。
今回の夏海は、過去の経験があるからこそ冷静でいられなかった一方、その経験があったからこそ、最後にはあかりへ届く言葉を見つけられたわけです。
良い母親かどうかは子どもが決めること
あかりが「子どもを育てる自信はもうない」と打ち明けた時、夏海は支援員としては異例ながら、自分自身のことを話しました。
1年前に娘と離れて暮らすことになり、もう二度と会えないかもしれないこと。そして、自分には大した母性などないと思っていたのに、娘に忘れられるかもしれないと考えると、驚くほど寂しかったと明かします。
そのうえで夏海は、あかりが「良い母親」かどうかを、自分自身だけで決める必要はないと伝えます。
あかり自身は、自分を母親失格だと思っていました。しかし将斗にとって、あかりは会いたいと思う大切な母親でした。
第6話では、親として十分なことをしてあげられなかったという罪悪感よりも、子どもとの間に実際にどんな関係が築かれているのかを、見つめることの大切さが描かれていたように思います。
あかりはなぜ最後に将斗を迎えに行ったのか
夏海は答えを押しつけず一晩考える時間を与えた
あかりが「子どもを育てる自信はもうない」と打ち明けても、夏海は無理に考えを変えさせようとはしませんでした。
自分の経験を話し、「良い母親かどうかは将斗が決めること」と伝えたうえで、児童相談所が迎えに来るまでまだ一晩あるから考えてほしいと告げ、その場を離れます。
これまで夏海が大切にしてきたように、最後に答えを出すのは支援する側ではなく、あかり本人です。
将斗と暮らし続けることを勧めるのでも、児童相談所に預けることを否定するのでもなく、あかりが自分で選ぶための時間を残したのでしょう。
将斗が描いていた母親の絵
夏海があかりの家で目にしたのが、将斗の描いた母親の絵でした。
あかりは自分のことを、将斗に何もしてあげられなかった母親だと思っていました。
しかし将斗の絵には、そのあかりが描かれてた。
食事を十分に作れなかったことや、絵本を読めなかったこと、お金をかけていろいろな経験をさせてあげられなかったこと。それらはあかりにとって「良い母親ではなかった証拠」になっていましたが、将斗が母親をどう思っていたのかは、それだけでは決まりません。
夏海が「良い母親かどうかは将斗が決めること」と伝えたのも、この絵を見たからこそだったと考えられます。
「大丈夫だよ、僕がいるよ」があかりに返した答え
将斗の退院当日、児童相談所の職員が迎えに来ても、あかりはなかなか姿を見せませんでした。
しかし最後には、読んであげられずにいた絵本を手にして病院へ駆けつけます。
そして将斗を抱きしめ、「将斗ごめん、ママが間違っていた」と謝ります。
すると将斗は、「大丈夫だよ、僕がいるよ」と答えました。
あかりはずっと、自分が将斗を支えなければならないと思っていました。しかし最後には、将斗の言葉によってあかり自身が支えられます。
自分は母親失格なのではないかと悩み続けたあかりに対して、将斗は母親を責めるのではなく、そばにいることを選びました。
夏海が答えを決めるのではなく、あかり自身でもなく、最後に将斗が返したこの言葉こそが、第6話における「良い母親とは誰が決めるのか」という問いへの答えだったのだと思います。
コラム|鴨居は何を抱えているのか
五十畑の過去を知っていた鴨居
第6話では、これまであまり自分のことを語らなかった鴨居に、気になる描写がいくつも重なります。
絵梨子とともに五十畑の研究室を訪れた鴨居は、本棚を見て、五十畑が以前は加害者の人権を守る活動をしていたことに気づきます。
さらに、昔テレビで加害者への報道が過激すぎるとコメントしていたことまで覚えていました。
単にテレビで見かけた人物の発言を、鴨居は妙に記憶していました。
つまり、鴨居にとって「加害者の人権」という問題は、何らかの意味を持っている可能性があります。
「手のひらを返したみたいですね」の意味
五十畑は加害者の人権も重要だが、それ以上に被害者への支援が遅れていることに気づき、現在は被害者支援に取り組んでいると説明しました。
それを聞いた鴨居は、
「なんか……手のひらを返したみたいですね」
と口にします。
かなり刺のある言い方です。
もし鴨居自身が犯罪被害によって家族を失っているなら、以前は加害者側の人権を訴えていた五十畑に対して、「今さら被害者支援なのか」という複雑な感情を抱いたとも考えられます。
一方で逆の可能性もあります。
鴨居の家族の誰かが犯罪加害者だったとすれば、加害者やその家族まで社会から切り離されないよう訴えていた五十畑の言葉に、かつて救われていたのかもしれません。
そうであれば、五十畑が被害者支援へ軸足を移したことを「手のひら返し」と感じた理由も分かります。
警察官になった理由は「犯罪者に興味があったから」
第5話で絵梨子から警察官になった理由を聞かれた鴨居は、
「犯罪者に興味があったから。人は何で罪を犯すのか」
と答えていました。
当時は少し変わった志望動機にも聞こえましたが、第6話を見たあとでは意味が変わってきます。
もし家族が犯罪によって亡くなっているなら、「なぜ人は他人を傷つけるのか」という疑問が警察官を目指すきっかけになったのかもしれません。
逆に家族が加害者だった場合は、「なぜあの人は罪を犯したのか」という、もっと個人的な問いを抱えて警察官になったとも考えられます。
鴨居が犯罪者に興味を持っているという言葉は、単なる好奇心ではなく、自分自身の過去につながっている可能性が高そうです。
体調不良と偽って墓参りに行っていた
さらに気になるのが、五十畑と会ったあとに鴨居が突然仕事を休んだことです。
署には体調不良と連絡していましたが、実際の鴨居は花束を持って寺を訪れ、墓参りをしていました。
絵梨子から電話がかかってきた際も、翌日から仕事へ戻ると話すだけで、どこにいるのかは明かしていません。
つまり鴨居には、職場には知られたくない、あるいは説明したくない墓参りだったのでしょう。
誰の墓なのかは第6話では明かされていませんが、鴨居の過去に関係する重要な人物の可能性が高いでしょう。
鴨居は被害者家族なのか、加害者家族なのか
現時点で考えやすいのは、鴨居が犯罪によって家族を失った「被害者家族」である可能性です。
家族を誰かに傷つけられ、その理由を知りたいという思いから「人は何で罪を犯すのか」に興味を持ち、警察官になったと考えれば自然です。
ただし、「手のひらを返したみたいですね」という五十畑への反応を考えると、加害者家族だった可能性も捨て切れません。
家族が犯罪を犯したことで、鴨居自身まで周囲から責められたり、偏見にさらされたりしてきた。その中で加害者側の人権を訴える五十畑の存在を知っていたとすれば、現在の五十畑への反応にも別の意味が生まれます。
第6話の時点では材料が足りず断定はできませんが、鴨居が「犯罪」に強い個人的な思いを抱えていることだけは、かなり濃く示され始めたように見えます。
いずれ鴨居自身が支援される側になる?
『さよならノワール』では毎回、犯罪によって人生を揺さぶられた人が、夏海や絵梨子の支援を受けながら再び歩き始めます。
しかし、支援する側の人間にもそれぞれ傷があります。
夏海は娘との別離と山崎の失踪を抱え、絵梨子も他人との関係をうまく築けない自分自身と向き合っています。
そして第6話では、鴨居にもまだ明かされていない過去があることが示されました。
もし鴨居の家族が犯罪の被害者、あるいは加害者だったのだとすれば、彼自身も長い間犯罪の影響を受け続けている人物ということになります。
そう考えると、今後は鴨居自身が何らかの形で「支援される側」に回る展開もありそうです。
被害者家族なのか、加害者家族なのか。それともまったく別の事情があるのか。
第6話の墓参りは、これまで捜査する側にいた鴨居の物語が、ここから動き始める合図なのかもしれません。
第6話で残された謎
鴨居は誰の墓参りをしていたのか
第6話の最後、鴨居は花束を手に寺を訪れ、誰かの墓参りをしていました。
墓に眠っている人物が誰なのかは明かされていませんが、五十畑との会話の直後に描かれたことから、鴨居の過去に深く関係する人物である可能性があります。
鴨居が五十畑に反発した理由は何なのか
鴨居は五十畑に「手のひらを返したみたいですね」と棘のある言葉を口にしています。
なぜ鴨居が五十畑の過去を覚えていたのか、そしてなぜ方針を変えたことに強く反応したのか。
鴨居自身が犯罪によって、何らかの影響を受けてきたことを示す伏線なのかもしれません。
鴨居の家族に何があったのか
絵梨子から家族と連絡を取っているのかと聞かれた鴨居は、「取っているよ」と答えていました。
一方、その後には墓参りへ向かう姿が描かれています。
家族の誰かが犯罪被害によって亡くなったのか、それとも家族の中に犯罪を犯した人物がいたのか。
第5話で語った「人は何で罪を犯すのか」という警察官になった理由も含め、鴨居と犯罪との個人的なつながりが今後明かされそうです。
まとめ|「良い母親」かどうかを決めるのは本人ではない
第6話では、交通事故で息子の将斗が意識不明となったあかりが、事故への罪悪感とSNSでの誹謗中傷によって、「自分は悪い母親だった」と思い込んでいく姿が描かれました。
将斗を児童相談所へ預けようとしたのも、炎上から息子を守るためだけではありませんでした。「もう母親を続けられない」という気持ちもまた、あかりの本音だったのでしょう。
そんなあかりに夏海が伝えたのが、「良い母親かどうかは将斗が決めること」という言葉でした。
そして最後に将斗が返した「大丈夫だよ、僕がいるよ」という言葉は、自分を母親失格だと思い込んでいたあかりへの一つの答えだったように思います。
親である以上、もっとしてあげたかったという後悔はなくならないのかもしれません。それでも、自分が良い親だったかどうかを、自分一人の物差しだけで決める必要はないことが示されました。
一方、第6話では鴨居の過去にも新たな謎が浮かびました。五十畑への反発や突然の墓参りが何を意味するのか。これまで捜査する側だった鴨居自身が、いずれ支援される側になるのかもしれません。
