Netflixドラマ『俺のこと、なんか言ってた?』第5話「京都ではんなりする大物俳優」のネタバレ解説と考察をまとめました。
今回の舞台は京都。時代劇の撮影に参加することになった高瀬川は、そこで父ヨロマンの知られざる過去と、息子に残した思いを知ることになります。一方、京都の撮影所ならではの閉鎖的な人間関係や、刈谷への厳しい扱いも描かれます。
そして終盤には、高瀬川以外にも忘れ去られた俳優がいたことが判明。親子の物語だけでは終わらない、新たな展開を迎えます。
この記事では、第5話のあらすじや明らかになった事実を整理しながら、気になった場面や今後の展開について考えていきます。
第5話「芸名を名乗る大物俳優」あらすじ
時代劇『御用だ!鬼平次』への出演が決まった高瀬川玄(役所広司)は、撮影のため京都へ向かうことに。京都の撮影所を訪れるのは15年ぶり。幼い頃には、時代劇の大スターだった父・萬漫太郎ことヨロマンに連れられ、何度も足を運んでいた場所でもあった。
かつて『鬼平次』シリーズで主演を務めたヨロマン。その人気作が復活することになり、今回主演を務めるのは、父の最後の付き人だった湯葉俊作(尾美としのり)だった。撮影所では、ヨロマンにそっくりな高瀬川が注目を集め、昔から父を知るスタッフたちとの再会も果たす。
一方、一緒に京都へやって来たカリスマエキストラの刈谷純一郎(山本博)は、慣れない撮影現場で苦戦していた。
東京では高く評価されている刈谷だが、京都では勝手が違うようで……。
父の面影が色濃く残る京都の撮影所で、高瀬川は思いがけない出来事に直面することになる。
第5話ネタバレ解説
京都の撮影所で歓迎される高瀬川、孤立する刈谷
15年ぶりに京都の撮影所を訪れた高瀬川。初めてここへ来たのは6歳の頃で、当時は時代劇の大スターだった父・萬漫太郎ことヨロマンに連れられていました。ヨロマンの代表作『御用だ!鬼平次』は、20作も続いた人気シリーズです。撮影中に幼い高瀬川が遊び回り、父から叱られたこともありました。
久しぶりに訪れた撮影所では、当時遊んでくれたスタッフたちが今も現役で働いています。高瀬川は懐かしさを覚えますが、声をかけた相手には覚えてもらえませんでした。
撮影が始まると、高瀬川と一緒にやって来た刈谷純一郎は、殺陣の稽古で苦戦します。東京ではカリスマエキストラとして知られ、監督からも指名される刈谷。しかし、京都ではその物腰の柔らかさや人当たりのよさが、かえって裏目に出てしまいます。
そんななか、高瀬川のもとを訪れたのが、今回『御用だ!鬼平次』で主演を務める湯葉俊作でした。湯葉はヨロマンの最後の付き人で、芸名もヨロマンから授かったものです。病に伏せたヨロマンから、『鬼平次』と京都の時代劇を託された俳優でした。その言葉を胸に、湯葉は現代劇の出演を断り、40年間も時代劇一筋で活動してきたといいます。
ところが撮影5日目、刈谷が突然姿を消してしまいます。残されていたのは台本と、高瀬川に宛てた一通の手紙でした。
刈谷の手紙と、高瀬川が撮影所に伝えた思い
ある夜、高瀬川は衣装担当のユミや床山のケンたちと酒を飲みながら、父ヨロマンの昔話を聞きます。
ヨロマンは気難しく、些細なことで撮影現場から帰ってしまうこともあったそうです。しかし、その後には差し入れを持って戻ってくるような人物でもありました。
また、若い頃の湯葉が大物俳優から性的な嫌がらせを受けた際には、ヨロマンが相手のもとへ乗り込んだこともありました。
湯葉に対しては、俳優として成功してから自分がゲイだと公表すれば、より多くの人に勇気を与えられると助言していたそうです。
気難しく横暴な一面がある一方で、弟子を守り、将来を案じる人情味も持ち合わせていたことがわかる。
やがて高瀬川は、刈谷が京都を去った理由を尋ねます。しかし、撮影所の人々は刈谷のことを「ああいうのは京都には合わない」と片づけようとします。それに対して高瀬川は、東京では高く評価されている俳優であり、自分も刈谷の紹介で京都へ来たのだと説明します。
そして、自分はヨロマンに似ていたから歓迎されただけで、京都の撮影所は一見さんお断りのような、閉鎖的で排他的な場所なのではないかと指摘しました。
重苦しい空気が流れるなか、高瀬川は刈谷の手紙を読み上げます。
そこには、子どもの頃から時代劇が大好きで、『鬼平次』シリーズのブルーレイをすべて持ち、湯葉のファンクラブにも入っていることが書かれていました。憧れの世界に参加できた喜び。しかし、その世界に自分だけが溶け込めなかった悔しさもありました。
刈谷は居残りで稽古を重ねていたものの、周囲から嫌がらせも受けていました。そして、これ以上ここにいたら、大好きな『鬼平次』を見ることさえ嫌になってしまう。そんな思いから、京都を去ることを選んだのでした。
手紙の最後には、湯葉から台本にサインをもらえなかったことが心残りだと書かれていました。読み終えた高瀬川は、湯葉に台本とペンを差し出し、刈谷のためにサインを頼みます。
その後、撮影所では突然、改訂台本が配られます。予算の問題から立ち回りの場面がほぼ削除され、作品は規模縮小か制作中止かという状況に追い込まれていました。高瀬川は、刈谷に完成した作品を見てもらいたいという思いから、撮影を続けるよう訴えます。
働き方改革による時間の制約を気にするプロデューサーに対し、ユミも自分の働き方は自分で決めると声を上げます。こうしてスタッフたちは再び動き出し、撮影は夜遅くまで続けられました。
父ヨロマンが舞台に立たなかった理由
京都で過ごすなか、高瀬川は父ヨロマンの女性関係についても気になり始めます。湯葉によれば、ヨロマンは晩年まで女性との付き合いが絶えなかったそうです。
そこで湯葉が高瀬川を連れていったのが、ヨロマン最後の愛人といわれる元芸妓・市和佳のもとでした。市和佳は、ヨロマンが舞台を観ることは好きだったものの、自分では舞台に立たなかったことを明かします。その理由は、息子の玄のためでした。
ヨロマンは、息子には同じことを何度でも繰り返し、経験を積むほど上達していく才能があると考えていました。一方、テレビドラマでは年齢によって演じられる役が限られます。しかし舞台なら、さまざまな役に挑戦しながら経験を積めます。そのためヨロマンは、玄には舞台俳優になってほしいと願っていました。
そして、息子が自分と比較されることなく、その道を切り開けるように、自分に来た舞台の出演依頼をすべて断っていたといいます。いつか息子が舞台に立ったら、みんなで観に行きたい。ヨロマンはそんなことも話していたそうです。
ただし、ヨロマンが映画にこだわったのには、もう一つ理由がありました。それは、自分が死んだ後も作品が残り、褒めてもらえるからというものでした。実際、ヨロマンは亡くなる3日前まで撮影を続けていたそうです。
市和佳は、ヨロマンが息子の名前をよく口にしていたことも明かします。しかし、肝心の名前がどうしても思い出せません。そこで高瀬川が、小さく「玄」とつぶやきます。父が自分のことをどれほど考えていたのか。高瀬川は、これまで知らなかった父の思いに触れることになりました。
その後、市和佳たちが席を外した際、同席していた芸妓からヨロマンの息子なのかと尋ねられ、高瀬川はそれを認めます。そして現在の仕事を聞かれると、舞台俳優を目指していると答えました。
父は息子が自分の力で進める道を残そうとしていた。ただし、ヨロマン自身にも舞台より映画を好む理由があり、複数の思いが重なっていたようだ。
東京に戻った高瀬川と、もう一人の忘れられた俳優
京都から戻った高瀬川は、ツトムのために買ってきたおもちゃの刀を自宅に届けます。しかし、インターホンを押しても返事はなく、土産を置いて帰ることになりました。
その後、自分の部屋に戻ると、そこには退院した川島一機がいました。川島は新たに連続ドラマの演出を任されており、監督としての仕事を始めることになったそうです。
そのドラマは、壬生大也が主演する『闇のダークネス』です。娘を殺されて復讐に燃える新聞記者を主人公にしたサスペンスで、川島は第6話の演出を担当する予定でした。
ところが、視聴者の考察によって犯人を早々に当てられてしまい、プロデューサーは急遽、脚本を変更するよう指示していました。しかも、そのプロデューサーは主演の壬生自身でした。
新たな犯人役を探す川島は、演技ができて、なおかつ名前の知られていない俳優などいないと困り果てます。すると高瀬川は、自分がいるではないかと名乗り出ます。
そして、かつての鑑賞日記を川島に見せます。そこには、ある人物について、馬力はあるものの癖が強く、乗りこなせる監督がいない俳優だと評した文章が残されていました。
高瀬川はその文章を読み、喜びを隠せません。そして川島に、自分を乗りこなしてほしいと頼むのでした。こうして高瀬川は、配信ドラマの撮影現場へと向かいます。
舞台に活動の中心を移してから、テレビドラマに出演する俳優たちを見下していた高瀬川。しかし本当は、自分が呼ばれないことが悔しかったのだと認めます。「田中卓」の名前が掲げられた楽屋を見つけると、思わず写真を撮ってしまいます。
配信ドラマの現場は、京都の撮影所とは大きく異なっていました。台本はタブレットで管理され、休憩時間も明確です。託児所やベビーシッターを用意する現場もあり、スタッフの男女比もほぼ半々でした。若いスタッフも多く、限られた時間のなかで質の高い作品を作ろうという意識が感じられます。
そんな撮影現場で、高瀬川は思いがけない人物と再会します。それが、小日向こと「こひさん」でした。高瀬川が声をかけると、小日向は以前から知っているように親しげに応じます。
そして、高瀬川は気づきます。世間から忘れられていた俳優は、自分だけではなかったのです。自分と同じ境遇の人物がいたことを知り、高瀬川はどこか嬉しそうな表情を浮かべるのでした。
岡本と村井の関係を語る場面から、娘のエマを思い浮かべる場面へとつながっている。誰に認められたいのかという問いが、第4話を通じて繰り返される。
第5話の考察

忘れられた俳優はほかにもいる?
第5話のラストで驚いたのは、小日向もまた、人々から忘れられた俳優だったという事実です。
これまで高瀬川は、自分だけが世間から忘れられた特別な存在だと思っていました。しかし、どうやらそうではなかったようです。忘れられたのは高瀬川だけではありません。そうなると気になるのは、ほかにも同じような境遇の人物がいるのではないかということです。
そもそも、なぜ高瀬川や小日向は忘れられてしまったのでしょうか。2人に共通する何かがあるのでしょうか。それとも、まったく別の理由で同じ現象が起きているのでしょうか。現時点では、小日向がいつから忘れられていたのか、本人がその状況をどう受け止めているのかもわかりません。
ただ、今回の高瀬川は、自分以外にも忘れられた人物がいると知って、どこか嬉しそうでした。自分だけではなかったという安心感なのでしょうか。それとも、同じ境遇の仲間を見つけた喜びなのでしょうか。
これまで一人で奇妙な状況に置かれていた高瀬川にとって、小日向の存在は大きな意味を持つのかもしれません。忘れられた俳優は、いったい何人いるのか?高瀬川だけの問題ではなくなったことで、この現象そのものへの興味もさらに増してきました。
第5話のコラム

京都の撮影所は閉鎖的? 厳しさと人情味のある世界
今回の京都の撮影所を見ていて気になったのは、独特の閉鎖性でした。高瀬川が撮影所の人々に対して、閉鎖的で排他的だと指摘します。しかし、単純に意地悪な人たちとして描かれていたわけでもないと思います。
ヨロマンの昔話を聞くと、撮影所には長年一緒に仕事をしてきた人々の強いつながりがあることもわかります。気難しいヨロマンが現場から帰ってしまっても、結局は差し入れを持って戻ってきます。そんな人物を、今でも懐かしそうに語っています。
また、高瀬川が撮影を続けるよう訴えた際には、スタッフたちも協力していました。最初はよそ者に厳しいけれど、一度受け入れたら簡単には離しません。 そんな独特の人情味も感じられました。いわゆる京都らしい、少し意地悪にも見える人間関係を思わせるところがあります。
もちろん、実際の京都の人々がみんなそうだという話ではありません。ただ、今回の撮影所には、長い歴史のなかで培われてきた独自のルールや価値観があり、それを理解できる人だけが仲間として受け入れられるような雰囲気がありました。
その世界に馴染めた人にとっては居心地がよくても、馴染めない人にとってはつらい場所なのでしょう。
刈谷はまさに後者でした。しかも、刈谷にとって『鬼平次』は子どもの頃から大好きだった作品です。憧れの世界に入れたのに、そこで傷つき、作品そのものまで嫌いになりそうになります。それは何とも切ない話でした。
人情味があることと、閉鎖的であることは必ずしも矛盾しません。むしろ、身内を大切にする意識が強いからこそ、外から来た人間に厳しくなることもあるのかもしれません。ただ、その厳しさに耐えられなかった人を、単に合わなかっただけで片づけてよいのか?刈谷のエピソードには、そんなことも考えさせられました。
京都と配信ドラマ、変わりゆく撮影現場
一方、東京の配信ドラマの現場では、台本がタブレットで管理され、ペーパーレス化が進んでいました。休憩時間はきっちり90分です。現場によってはベビーシッターや託児所まで用意されているといいます。さらに、スタッフの男女比はほぼ半々で、京都よりも若い人が多く、活気にあふれていました。昔ながらの職人気質の現場と、効率や働きやすさを重視する新しい現場。 その違いが興味深いです。
特に印象的だったのは、京都で撮影の続行が危ぶまれた際、働き方改革を気にするプロデューサーに対して、ユミが自分の働き方は自分で決めると声を上げた場面です。確かに、自分の仕事に誇りを持ち、納得のいくものを作るために頑張りたいという気持ちはわかります。
しかし、その一方で、働き方改革は長時間労働を防ぎ、働く人を守るためのものでもあります。本人が望んでいるからといって、際限なく働いてよいのか?そこは少し気になるところでした。
特に映画やドラマの制作現場では、1人の熱意が周囲にも影響することがあります。誰かが頑張ることで、ほかの人も帰りづらくなる可能性はあるでしょう。だからこそ、東京の配信ドラマの現場で描かれた、限られた時間のなかで質の高い作品を作ろうとする姿勢にも意味があります。
ただし、今回描かれた2つの現場が、そのまま京都と東京、あるいは映画と配信ドラマ全体の実情を表しているわけではありません。むしろ興味深いのは、どちらの現場にも、よい作品を作りたいという思いがあることです。
京都には長年培われてきた技術と人情があり、東京には新しい働き方と、若い世代へ技術を伝えようとする意識があります。伝統を守ることと、時代に合わせて変わること。その両方が必要なのかもしれません。
今回の第5話は、父と息子の物語であると同時に、変わりゆく映像制作の現場を描いたエピソードでもあったように思います。
第5話で気になったこと
「ねっとりフィリック」と「でずにぃプライス」
湯葉が記者会見で口にした、NetflixとDisney+をもじったと思われる名前です。配信サービスが主流になりつつある時代でも、チャンバラは横長のシネマスコープで見たいと語る湯葉のこだわりが面白いです。名前のもじり方も、なかなか絶妙でした。
「闇のダークネス」というタイトル
壬生が主演するドラマのタイトルは『闇のダークネス』です。ダークネスは日本語で「闇」なので、直訳すると「闇の闇」になってしまいます。高瀬川も突っ込んでいましたが、いかにも意味深なタイトルにしたかったのか?
考察勢に犯人を当てられて脚本変更
『闇のダークネス』では、犯人を絶対に当てられないよう脚本家を4人も投入したのに、あっさり考察勢に見破られてしまったそうです。そこで急遽犯人を変更することになりますが、考察する側としては何とも複雑な話です。視聴者の予想を裏切るために、そこまでするのか?と驚きました。
第5話まとめと感想
第5話は、京都を舞台に、父ヨロマンが息子のために残したものが明らかになるエピソードでした。
父が舞台に立たなかった理由は、息子の将来を考えてのことだったといいます。ただ、それだけではなく、父と息子では俳優としての適性も違っていたようです。単純な自己犠牲の美談ではなく、それぞれの生き方が見えてくるところが印象に残りました。
一方、刈谷のエピソードからは、京都の撮影所が持つ閉鎖的な一面も描かれました。人情味はあるものの、そこに馴染めない人間には厳しい場所です。憧れていた時代劇の世界を嫌いになりそうになってしまった刈谷の姿は、何とも切なかったです。
そして最後には、小日向もまた忘れられた俳優だったことが判明します。
高瀬川だけではなかったという驚きとともに、ほかにも同じような人物がいるのではないかという興味が湧いてきました。
父と息子の物語を描きながら、作品全体の展開にも新たな動きがあった第5話です。高瀬川と小日向が今後どのように関わっていくのか、気になるところです。
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