【俺のこと、なんか言ってた?】第4話ネタバレ解説|岡本の失踪、川島の日記に残された言葉

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Netflixドラマ『俺のこと、なんか言ってた?』第4話「芸名を名乗る大物俳優」のネタバレ解説・考察をまとめました。

新たな芸名で俳優活動を始めた高瀬川は、思いがけない形で娘のエマと再会します。父親であることを明かせないまま、娘を守るために一世一代の大芝居を打つことに。

一方、岡本は突然姿を消し、川島も戻ってこない。周囲から人がいなくなっていくなか、高瀬川は川島が残した日記から、ある言葉を知ります。

今回は、父娘の関係や岡本の失踪、川島の日記に込められた思いを中心に、印象的な台詞や気になった小ネタも交えながら振り返ります。

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第4話「芸名を名乗る大物俳優」あらすじ

劇団「ウィスキーボンボン」の稽古に参加する高瀬川。しかし、劇団員たちの芝居はどうにも物足りず、退屈な時間を過ごしていた。

それ以上に気になっていたのは、先日、若い男性とホテルに入っていく姿を目撃した女性のこと。あれは、6年前を最後に会っていない娘のエマではないのか。

そんななか、稽古場に村井タケルという風変わりな俳優が現れる。岡本とは高校時代からの知り合いらしいが、突然舞台に上がると、周囲を圧倒する奇妙な芝居を始める。その型破りな演技に、高瀬川も思わず目を奪われるのだった。

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第4話ネタバレ解説

※ここからは第4話の結末まで触れています。

奇妙な俳優・村井と岡本の過去

劇団「ウィスキーボンボン」の稽古場に突然現れたのは、無頼タケルノミコトと名乗る俳優・村井タケルでした。

いかにも大げさな振る舞いをする村井を、高瀬川は最初から冷ややかな目で見ています。ところが村井は、岡本の台本を批判すると勝手に舞台へ上がり、ペットボトルの水を頭からかぶって芝居を始めました。「ブロウ、ウィンズ!」と叫びながら暴れ回る村井。その言葉がシェイクスピアの『リア王』の台詞だと気づいた高瀬川は驚きます。

Tips|『リア王』について

村井の「ブロウ、ウィンズ!」は、シェイクスピアの『リア王』に登場する嵐の場面を踏まえたもの。高瀬川も1話の冒頭で演じた。

もっとも、村井の芝居に確かな基礎があるようには見えません。それでも、あまりに自由で予測不能な演技から目が離せなくなってしまいます。

その後、居酒屋で岡本と村井の過去が明らかになります。2人は高校の演劇部からの知り合いで、劇団を旗揚げした仲間でした。岡本が村井を誘って演劇を始め、旗揚げ公演の『ビーバップ空お蕎麦』は新人戯曲賞に選ばれます。しかし、岡本はその後、脚本を書けなくなってしまいました。

一方の村井は再現ドラマなどで仕事を得るようになり、2人とも20代で急に注目されるようになります。ところが岡本は、劇場を押さえてチケットまで売っていた公演『トマトとまとレ点』を、本番5日前になって放り出してしまったのです。残された劇団員たちは、観客への返金や謝罪に追われました。村井もその様子を遠くから見ていました。

岡本は5、6年かけて借金を返済し、ようやく小さな劇団で活動を再開しました。しかし、そこへ村井が酔って現れ、稽古をかき乱していくのです。

村井が何をしたいのか分からないという岡本に、高瀬川はこう話します。「重要なのは何かやりたいかじゃない。何かやりたいという衝動だ」村井は、自分の芝居を岡本に見せたかったのではないか。高瀬川はそう考えます。そして、岡本自身もまた、村井に認めてもらいたいのではないかと問いかけるのでした。

ポイント|高瀬川が褒めてほしい相手

岡本と村井の関係を語る場面から、娘のエマを思い浮かべる場面へとつながっている。誰に認められたいのかという問いが、第4話を通じて繰り返される。

田中卓としての再出発と娘との再会

岡本たちとの会話で、褒めてもらいたい相手を尋ねられた高瀬川は、娘のエマを思い浮かべます。

先日見かけた女性がエマではないかと気になっていた高瀬川は、岡本に頼んで行方を調べてもらうまでもなく、あっさり見つかります。エマは中野のコンセプトカフェ「月刊おっさん牧場」で働いていました。

店を訪れた高瀬川は、エマを指名して席についてもらいました。もちろん、父親であることは明かしていません。エマは高瀬川の顔を見て、武田信玄に似ていると言い出します。高瀬川も否定せず、そのまま会話を続けました。

エマによると、両親が離婚したのは小学6年生のとき。それ以来、父親の愛情に飢えているのだといいます。「田中さんがお父さんだったらいいのに」そう話すエマを前に、高瀬川は複雑な思いを抱えます。

その後、自宅に戻った高瀬川は、俳優として新たに活動するための芸名を考え始めました。

すでに国民の大半から忘れられているのなら、高瀬川玄という名前にこだわる必要もない。そう考えた高瀬川は、エマに名乗った「田中」を使うことにします。

さらに、目に入った食卓塩から「卓」の字を取り、田中卓(たなか・たく)という芸名を決めました。大きなことを成し遂げそうにない平凡な名前だと、高瀬川は全国の田中卓さんを敵に回すようなことを言って喜びます。

こうして田中卓として活動を始めた高瀬川は、さまざまな撮影現場でエキストラの仕事をこなしていきます。患者役や近所の住人役だけでなく、台詞のある役も任されるようになり、演技を褒められる機会も増えていきました。

高瀬川は出演作品の記念品をエマに渡すなど、父親であることを隠したまま交流を続けます。エマから母親の事務所を紹介しようかと持ちかけられても、高瀬川は断りました。できれば、向こうから自分を見つけてもらいたいと考えていたのです。

父親としての後悔とチヂミの言葉

そんな高瀬川のもとに、元妻のヨウコがやってきます。エマに近づかないよう忠告するヨウコ。しかし高瀬川は、娘を心配するのは親として当然だと反論しました。

2人のやり取りから、かつての出会いが描かれます。1997年、当時36歳だった高瀬川は、二世俳優として消費されることに悩み、引退まで考えていました。そんな彼に声をかけたのが、大手芸能事務所に入社したばかりの23歳のヨウコでした。

ヨウコは帰国子女で、日本の芸能界には詳しくありません。目の前にいる男が有名俳優の高瀬川玄だとは知らず、芸能界に興味はないかとスカウトしたのです。自分を知らない女性がまだいる。そのことに救われたような気持ちになった高瀬川は、ヨウコを引き抜き、個人事務所のマネージャーに迎えました。

やがてヨウコは妻となり、事務所の社長となり、エマの母親となります。しかし高瀬川は、次第にヨウコを女性として見られなくなってしまったといいます。

サウナの従業員・チヂミと食事をしながら過去を振り返る高瀬川に、チヂミは怒りをあらわにしました。妻を勝手に女性として見なくなり、別の女性を求め、また同じことを繰り返す。そんな高瀬川の身勝手さを厳しく指摘します。

高瀬川は、結局誰1人幸せにできなかったと後悔していました。ところが、チヂミはその考えにも反発します。自分がサウナの社長の愛人であることに同情する高瀬川に対しても、勝手に不幸だと決めつけるなと怒るのです。

女は男に幸せにしてもらおうと思ってないといい、「アタスの幸せアタスが決める」チヂミの言葉を聞いた高瀬川は、自分が相手の幸せまで決めようとしていたことに気づかされます。

娘を守るための大芝居

エマとの交流を続けていた高瀬川は、ある日、彼女がパパ活をしていることを知ります。心配した高瀬川はヨウコの事務所に怒鳴り込み、自分も父親なのだからと、エマとの食事に向かいました。

そこでエマから持ちかけられたのは、思いがけない相談でした。エマは、パパ活を通じて知り合った秋庭誠一という男性から、ストーカー被害を受けていたのです。秋庭は39歳の法務省キャリア官僚。半年前に知り合ったものの、エマは恋人として付き合っていたつもりはありませんでした。

しかし秋庭は別れを受け入れず、殺害予告とも取れるメッセージを送りつけるようになっていました。警察も事情を把握していましたが、秋庭は事件にならないぎりぎりの行為を繰り返しているといいます。

困ったエマは、父親が反社会的勢力の幹部だと嘘をついてしまいました。そして、その父親役を田中に演じてほしいと頼んだのです。本当の父親なのに、偽物の父親を演じることになった高瀬川。岡本たちの協力を得て、ヤクザらしい衣装や小道具を用意します。チヂミもサウナの社長の毛皮のコートを貸してくれました。

さらに高瀬川は、舞台俳優だから台詞がなければ演じられないと、岡本に脚本を依頼します。ところが岡本の書いてきた台詞は、ヤクザにしては芝居がかりすぎていました。高瀬川はもっと直接的な言葉にするよう注文し、『仁義なき戦い 広島死闘篇』を参考にさせます。

それでも岡本は、ある台詞だけは譲ろうとしませんでした。「君は狂おしいほどに誰かを愛したことがあるのかね」こうして準備を整えた高瀬川は、若い衆役の岡本を連れて秋庭と対面します。

最初は台本どおりに演じようとするものの、秋庭がエマを侮辱する言葉を重ねるうちに、高瀬川は我慢できなくなりました。立ち上がった高瀬川は、エマが生まれた日のことを語り始めます。

当時、高瀬川は映画の撮影中でした。ヨウコは難産で、出産に立ち会いたくても撮影現場を離れられません。そんな彼を助けたのが、共演者の平田でした。平田は切腹の場面で何度もNGを出し、撮影を引き延ばしてくれたのです。テイクは74回にも及びました。

そのおかげで高瀬川は病院へ向かい、生まれたばかりのエマに会うことができました。初めて娘の小さな手に触れたとき、どんな人間に育っても全力で愛そうと誓ったといいます。

そして高瀬川は、岡本が書いたあの台詞を口にしました。「狂おしいほど誰かを愛したことがあるのか?」さらに、幼いエマとの思い出を語り始めます。

エマが将来はパパのお嫁さんになると言ってくれたこと。あのとき、世界中から祝福されたような気持ちになったこと。そして、自分の中ではエマは今でも4歳のままなのだと、涙ながらに訴えました。

最後には秋庭に土下座し、エマを諦めてほしいと頼み込みます。しかし、エマはそこまでしなくてもいいと慌てました。すべて芝居だと明かしたうえで、演技だと分かっていても本物すぎて怖いとまで言い出します。

高瀬川は本当の父親なのですが、もちろんエマはそのことを知りません。エマは、田中が自分の父親だったらもう少しまともだったかもしれないと話しました。その言葉を聞いた高瀬川は、涙を流します。そしてエマは、パパ活をやめ、借金も自分で働いて返すと宣言しました。

秋庭は一連の出来事を茶番だと吐き捨てますが、エマは黙っていません。自分のことで精一杯の田中が、ここまでしてくれた。秋庭に同じことができるのかと反論し、その場を去っていきました。こうして高瀬川と岡本による大芝居は、思わぬ形で幕を閉じたのです。

【視聴メモ|岡本の台詞が生きた瞬間】
高瀬川が最初は不自然だと感じていた「狂おしいほどに」という表現が、娘への思いを語る場面では自然に響いた。脚本家と俳優の関係が表れた、印象的な場面。

岡本の失踪と川島の日記

帰り道、岡本は高瀬川に感謝を伝えます。自分の書いた「狂おしいほどに」という言葉を使ってくれたことが、うれしかったようです。高瀬川の芝居に感動した岡本は、今なら脚本を書けるかもしれないと言って走り去りました。

ところが、結局岡本は書くことができず、再び姿を消してしまいます。その結果、劇団「ウィスキーボンボン」の公演は中止になりました。責任を感じた高瀬川は、岡本の分までサウナのシフトに入り、アウフグースの腕を磨いていきます。

一方、エマはSNSでパパ活をやめたことを報告していました。これからはコスプレに本腰を入れるというエマ。そこには「信玄参上」と書かれた、軍配を持つ姿の写真もありました。高瀬川はその投稿に「いいね」をつけます。

そんななか、川島の入院は長引いていました。高瀬川は、川島が残した映画の鑑賞日記を改めて読み始めます。普段は愛想を振りまくこともなく、淡々と仕事をこなしていた川島。しかし、その日記には映画への熱い思いが記されていました。

そして高瀬川は、『忠臣蔵~赤穂浪士の生き残り』という映画の感想を見つけます。そこには、高瀬川玄の演技がずば抜けており、いつか一緒に仕事をしてみたい俳優だという評価が書かれていました。「川島が俺のことなんか言ってた」思わずそうつぶやく高瀬川。

さらに、その映画を探してみると、エマが生まれた日に平田が切腹の場面でNGを繰り返してくれた、あの作品だったことが分かります。

そんな高瀬川のもとに、エキストラ仲間の刈谷から電話が入りました。3月に京都へ来られないかという、映画版『鬼平次』への出演の誘いでした。

ポイント|2つの出来事をつなぐ映画

川島が高く評価していた作品は、エマの誕生にまつわる思い出の映画でもあった。父親としての記憶と俳優としての評価が、1つの作品でつながった。

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第4話考察

岡本はなぜ再び姿を消したのか?

高瀬川がエマを守るために見せた芝居に感動し、今なら脚本を書けるかもしれないと走り去った岡本。しかし、結局は書くことができず、再び姿を消してしまいました。

なぜ岡本は、あれほど創作意欲を取り戻したように見えたのに、書けなかったのか?

そもそも岡本は、才能がないから書けなくなったわけではありません。劇団の旗揚げ公演では新人戯曲賞を受賞しており、少なくとも過去には評価される作品を書いています。それなのに、次の作品が書けなくなり、公演直前にすべてを投げ出してしまったのです。

今回も、高瀬川の芝居を見て強い刺激を受けています。しかも、自分が書いた「狂おしいほどに」という言葉が、高瀬川の口から発せられたことを喜んでいました。

つまり、書きたいという気持ちがなくなっていたわけではない。むしろ、書きたい気持ちが強いからこそ、書けない自分を受け入れられないのかもしれません。

岡本は村井について、何をしたいのか分からないと話していました。しかし、高瀬川は「重要なのは何かやりたいかじゃない。何かやりたいという衝動だ」と答えています。この言葉は、岡本自身にも当てはまるように思います。

村井には、たとえ周囲から理解されなくても、自分の芝居を見せたいという衝動があります。一方の岡本には、脚本を書きたいという衝動があるにもかかわらず、それを作品にすることができません。

そして、村井が岡本に自分の芝居を見せたかったように、岡本もまた、村井に自分の作品を認めてもらいたかったのではないでしょうか。

かつて一緒に劇団を立ち上げた仲間だからこそ、相手の評価が気になる。自分の才能を知っている相手だからこそ、中途半端なものを見せたくない。そんな思いが、岡本を追い詰めている可能性もあります。

ただ、今回の失踪が前回と同じ意味を持つのかは、まだ分かりません。以前は公演を放り出したまま姿を消しましたが、今回は高瀬川の芝居を見て、確かに何かを感じています。

書けなかったことと、何も変わらなかったことは、必ずしも同じではありません。

岡本が再び戻ってくるとしたら、今度はどんな作品を書くのか。そこにも注目したいところです。

川島の日記が高瀬川に与えたもの

川島の映画鑑賞日記には、高瀬川玄の演技を高く評価する言葉が残されていました。

川島は普段、愛想を振りまくこともなく、淡々と仕事をこなす人物です。高瀬川に対しても、特別な敬意を示しているようには見えませんでした。しかし、日記には高瀬川の演技がずば抜けており、いつか一緒に仕事をしてみたい俳優だと記されていたのです。

「川島が俺のことなんか言ってた」この言葉には、驚きと喜びの両方が込められているように感じました。

高瀬川はかつて有名俳優でしたが、現在はエキストラとして活動しています。昔の自分を知る人がいても、今の自分を俳優として評価してくれるとは限りません。そんななか、身近にいた川島が、自分の演技を認めてくれていたことを知ったのです。

しかも、その評価は高瀬川に聞かせるための言葉ではありません。本人に見せるつもりのなかった日記に書かれていたからこそ、そこにはお世辞ではない本音が感じられます。

高瀬川が知らなかっただけで、彼の芝居を見ていた人はいた。これは、今の高瀬川にとって大きな意味を持つ発見だったのではないでしょうか。

さらに興味深いのは、川島が評価していた『忠臣蔵~赤穂浪士の生き残り』が、エマの誕生にまつわる思い出の作品でもあったことです。高瀬川にとって、その映画は単なる出演作ではありません。ヨウコが出産する日に撮影していた作品であり、平田が何度もNGを出してくれたおかげで、エマの誕生に立ち会えたという特別な記憶が残っています。

つまり、同じ映画が、川島にとっては高瀬川の演技を評価するきっかけとなり、高瀬川にとっては父親になった日の記憶につながっているのです。俳優としての自分と、父親としての自分。今回、高瀬川はエマを守るために父親を演じましたが、その芝居には本当の父親としての思いが込められていました。

そして最後に、川島の日記を通じて、かつての俳優としての自分も認められていたことを知ります。父親としての思いと、俳優として生きてきた時間が、1つの映画を通じて結びついたようにも見えます。

また、高瀬川はエマから父親だと気づいてもらうことはできませんでしたが、川島からは知らないうちに俳優として認められていました。どちらも、自分が望んだ形で相手から直接伝えられたわけではありません。それでも、誰かの中に自分の存在が残っている。川島の日記は、高瀬川にそのことを教えてくれたような気がします。

高瀬川は本当に孤独になったのか?

第4話では、高瀬川の周囲から人がいなくなっていきます。岡本は再び失踪し、川島も入院したまま戻ってきません。劇団の公演まで中止になり、高瀬川が新たに築き始めた居場所は、少しずつ失われているように見えます。しかし、本当に高瀬川は孤独になっているのか?

今回の出来事を振り返ると、むしろ人とのつながりが増えているようにも思えます。

まず、エマとの関係です。エマは田中卓が本当の父親だとは知りません。それでも、高瀬川の芝居を通じて、彼女は自分を本気で心配してくれる大人がいることを知りました。

そして高瀬川も、娘が今どんな生活を送り、何に悩み、これからどう生きようとしているのかを知ることができました。親子として再会できたわけではありませんが、以前のように、まったく接点のない関係ではなくなっています。

また、岡本との関係にも変化がありました。岡本は高瀬川のために脚本を書き、高瀬川はその言葉を使ってエマを守りました。結果として岡本は再び姿を消しましたが、少なくとも2人は、脚本家と俳優として1つの芝居を作り上げています。

川島についても同じです。入院によって直接会うことはできなくなりましたが、日記を読んだことで、高瀬川はそれまで知らなかった川島の思いに触れることができました。

人がそばにいることと、その人とつながっていることは、必ずしも同じではない。そばにいても相手の本心が分からないこともあれば、離れて初めて、その人が自分をどう思っていたのかを知ることもあります。今回の高瀬川は、まさにその両方を経験しています。

もちろん、だから孤独ではないと言い切ることはできません。岡本も川島も不在であることに変わりはなく、エマとの関係も本当の親子として修復されたわけではないからです。ただ、以前の高瀬川は、自分を認めてくれる相手を求めながらも、他人の気持ちを十分に理解しようとしていなかったように見えます。

それが今では、娘のために頭を下げ、岡本の言葉を大切にし、川島の日記に喜びを感じています。周囲の人が減っていく一方で、他人との向き合い方は変わり始めているのです。

そして最後には、映画版『鬼平次』への出演という新たな仕事の話も舞い込んできました。高瀬川はまだ孤独なのかもしれません。しかし、誰からも必要とされていないわけではないことが、少しずつ見えてきた第4話だったと思います。

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第4話コラム|幸せは誰が決めるものなのか

今回、特に印象に残ったのが、チヂミの「アタスの幸せアタスが決める」という言葉です。

高瀬川は、元妻のヨウコや娘のエマを幸せにできなかったことを後悔していました。そして、サウナの社長の愛人であるチヂミに対しても、どこか同情するような態度を取っています。しかし、チヂミはそんな高瀬川に怒りました。

女は男に幸せにしてもらおうと思ってない。自分が幸せかどうかを、どうして他人に決められなければならないのか。考えてみれば、これは当たり前のことなのですが、私たちは案外、他人の幸せを勝手に判断しているのかもしれません。

結婚しているから幸せ。お金があるから幸せ。反対に、独身だから寂しい。愛人という立場だから不幸。もちろん、そういう価値観を持つこと自体が悪いわけではありません。ただ、それを他人にも当てはめてしまうと、話は違ってきます。

自分にとっての幸せが、相手にとっても幸せとは限らないのです。

これは親子関係にも言えることだと思います。親は子供に幸せになってほしいと願います。しかし、その幸せが何なのかを、親が決めてしまっていいのか?高瀬川は、エマがパパ活をしていることを知って心配します。父親としては当然の感情でしょうし、実際にエマは危険な目に遭っていました。だからといって、エマの人生を父親が代わりに決めることはできません。

今回、高瀬川はエマを守るために大芝居を打ちました。しかし、最後にパパ活をやめると決めたのはエマ自身です。借金も自分で働いて返すと宣言し、これからはコスプレに力を入れるという道を選びました。ここが大切なのだと思います。高瀬川がエマを救ったというより、高瀬川の行動をきっかけに、エマが自分でこれからの生き方を決めたのです。

もし高瀬川が父親として正体を明かし、パパ活をやめろと一方的に命令していたら、同じ結果になったかどうかは分かりません。そもそも、人を幸せにするという言葉には、少し傲慢なところがあるのかもしれません。誰かを助けることはできる。支えることも、励ますこともできる。しかし、その人を幸せにできたかどうかは、結局のところ本人にしか分からないのではないか。

高瀬川は、誰1人幸せにできなかったと後悔していました。けれども、ヨウコやエマがこれまでの人生で一度も幸せを感じなかったわけではないでしょう。そのときヨウコが何を感じていたのかは、ヨウコにしか分かりません。他人の幸せを自分の責任にしてしまうことも、ある意味では、相手の人生を自分のものとして考えているのかもしれません。

誰かの幸せを願うことと、その人の幸せを決めることは違います。チヂミの言葉は、高瀬川だけでなく、見ているこちらにもそんなことを考えさせるものでした。

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第4話で気になったこと

松田優作への憧れと村井の芝居

村井の独特な振る舞いや芝居からは、松田優作への憧れが感じられると高瀬川は最初は呆れていました。名前からして大げさですが、芝居も負けず劣らず大げさです。そして案の定、松田優作の歌『YOKOHAMA HONKY TONK BLUES』を口ずさみました。

『リア王』をまさかの場所で披露

村井が突然始めたのは、シェイクスピアの『リア王』の一節でした。「ブロウ、ウィンズ!」と叫びながら、ペットボトルの水を頭からかぶるという、何とも奇妙な芝居です。上半身を脱いだかと思えば、「ぶろう、ぶろう、ぶろろうぃんず」と言いながら楽しげに踊り始めます。

そして最後は「俺はキングリア、レペゼンロンドン!」と勝手にまとめました。高瀬川は思わず「バカなのか?」と突っ込みました。その後も畳の上でのたうち回り、「頭の中のチップが!ポテトチップが」とか喚く、初見で見たら思わず笑ってしまう芝居のオンパレードでした。

『仁義なき戦い』でヤクザの役作り

エマを守るためにヤクザの幹部を演じることになった高瀬川。岡本が用意した脚本では迫力が足りないと感じ、『仁義なき戦い 広島死闘篇』を参考にするよう注文します。ヤクザを演じるために映画で勉強するというのも、いかにも俳優らしい発想です。

しかも、本番では台本を超えて、本当の父親としての感情があふれ出してしまいます。役作りを重ねた末に、最も説得力を持ったのが本人の本音だったというのも、皮肉で面白いところです。

出産と切腹シーンが重なる謎の演出

エマが生まれた日の回想では、高瀬川が出演していた映画の切腹シーンが登場します。ヨウコが出産している一方で、平田は切腹の場面で何度もNGを出し、撮影を引き延ばしていました。その回数は、なんと74回。介錯を会釈と言ってみたり、梅雀といってみたり、あの手この手の引き延ばしです。

出産苦悶の表情でするヨウコ、対して苦悶の表情で切腹のNG芝居を繰り返す平田。2人の画が一つの画面内でシンクロするという、何とも奇妙な謎の演出には思わず笑いがもれました。

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第4話まとめと感想

第4話では、娘を守るために父親を演じる高瀬川の姿が描かれました。本当の父親でありながら、その正体を明かすことはできません。それでも、エマを守りたいという思いは本物であり、結果としてエマが自分の人生を見つめ直すきっかけにもなりました。

一方、岡本は再び姿を消し、川島も戻ってきません。せっかくできた居場所が、また失われていくようにも見えます。しかし、川島の日記には、かつての高瀬川の演技を認める言葉が残されていました。

自分では気づいていなくても、誰かが見ていてくれた。そんな事実が、高瀬川にとって新たな希望になったのではないでしょうか。

そして最後には、映画版『鬼平次』への出演という新しい仕事の話も舞い込んできました。田中卓として再出発した高瀬川が、これからどんな俳優になっていくのか。次回も楽しみです。

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