【夢食堂の料理人】ネタバレ感想|ダラバのレシピとモデルになった人物紹介

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2019年7月23日に放送された、【夢食堂の料理人〜1964東京オリンピック選手村物語〜】 はオリンピックの選手村で料理を作っていた人たちの話で、全国から集められた料理人が奮闘するドラマとなっています。

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【夢食堂の料理人〜1964東京オリンピック選手村物語〜】スタッフ&キャスト

  • 初回放送日:2019年7月23日(火)19:30~20:42
  • 再放送予定:2019年7月28日(日)16時40分~
    90分版がNHK BS4Kで2019年8月3日の19:30~20:52に放送予定
  • 放送局:NHK総合
  • 作:鈴木 聡
  • 音楽:川村竜
  • 語り:小堺一機
  • 制作統括:髙橋 練(NHK)、小松昌代(NHKエンタープライズ)、渡邉浩仁(AX-ON)、本多繁勝(AX-ON)
  • 演出:柳川 強(NHKエンタープライズ)
  • 坂田三郎(高良健吾)
    秋田の洋食屋「好味軒」の料理人。秋田代表として派遣。
  • 島田恵子(松本穂香)
    選手村理髪店の理髪師。
  • 山田和雄(宮舘涼太)
    帝国ホテルから派遣された料理人。
  • 高木弘(渋谷謙人)
    鹿児島代表として派遣された料理人。
  • 杉浦徹(小平大智)
    高知代表として派遣された料理人。
  • 多田(迫田孝也)
    料理人。
  • カディナ(マックス)
    チャド代表の陸上選手。
  • 道子(岸井ゆきの)
    三郎の幼馴染。
  • 野島芳江(須藤理彩)
    選手村管理事務所のサービス員。
    裁縫やアイロンかけなど選手たちの日常生活を手助けし、「オリンピックママ」と称される。
  • 太丸徹二(徳光和夫)
    日本ホテル協会会長。
  • 村山信一(市川猿之助)
    選手村内「富士食堂」の料理長。
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【夢食堂の料理人】のあらすじ

アジア初のオリンピック開催に日本中が沸くなか、大きな問題は世界の国々からやってくる選手たちの食事。選手団の総数は約7000人。当時の日本では未知の数字です。信用ゼロ、経験ゼロの挑戦がこの時始まりました。選手村食堂に全国から集められたのは300人の料理人。彼らは西洋料理のみならずアジア、中南米、アフリカなどの見たこともない各国の料理と格闘。さらに、選手たちに安全な食事を提供するという使命のもと、その技術と工夫と精神は若き料理人を変えていきました。料理人たちの情熱と、選手村での国を越えた交流を通して、日本人の誇るおもてなしの原点を描きます。

公式HPより
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【夢食堂の料理人】のネタバレ

  • 93カ国7000人が参加するオリンピックの選手村で、料理を作る人手を補うため、各都道府県から2人ずつ選出してもらうことになる。
  • 秋田県から推薦された三郎は、同じ地方から来た高木と杉浦や山田と仲良くなる。しかし自分が良いと思う料理を作るのではなく、いわれたとおりに作ることがつまらない。
  • ぞくぞくと選手が来日するようになり、調理場は朝から晩まで立ちっぱなしの忙しさだった。そんな時、水道から水が出なくなってしまう。理由は沢山の人が水を使ったことで、水圧が下がったからだった。
  • トイレのつまりを直すために三郎と高木や各国の人たちで、バケツリレーをすることで解決する。しかし、調理服のまま参加したことが不衛生だと、多田に料理人としての自覚がないと怒られる。
  • バケツリレーの一件で知り合った理髪店の恵子と芳江に出会う。芳江は現在の国立競技場がかつて学徒出陣に使用されたことを思い出し、今は平和の祭典であるオリンピックで使用されるということが感慨深かった。
  • オリンピックが始まると選手たちの料理の注文が細かくなる。昨日は美味いと言っていたものが、今日はまずいというのが不思議に思っていた三郎に、村山が選手は沢山汗を流しているから塩を多めにするといいとアドバイスしてくれる。
  • そんな中でもチャド代表の“ウェルダン”は相変わらずよく焼けてるものを食べたがる。三郎にはわからなかったが、村山は衛生のために火を通すのが、ご馳走だという文化もあるんじゃないかと教えてくれた。
  • 三郎は自分が美味しいと思ったものを食べさせたいと思っていたが、食べる人の体や文化を考えることが大切だと気づいた。
  • 一方恵子は同じオリンピック村の理髪店で働いているが、女性の理髪師が海外ではあまりいないせいか、席にすらついてもらえなかった。しかし、三郎の話を聞いて勇気付けられる。
  • 柔道金メダル候補というオランダのヒディング選手が恵子の席についた。恵子は髭を剃り終えると、ヒディングは「この人は上手です」とその場にいる他の国々の人に言ってくれた。
  • その頃食堂ではウェルダンが倒れてしまう。食中毒ではないかと慌てた三郎は、急いで医務室に連れていく。すると食べすぎが原因だとわかって一安心した。
  • ウェルダンの名前はカディナといい、チャドがフランスから独立して初のオリンピックのため、国の期待を一身に背負って来たことがわかる。
  • ある日、カディナが食欲がないので聞くと、“ダラバ”が食べたいという。しかし、どんな料理なのかわからない三郎たちは悩む。
  • こないだ髭を剃ったヒディング選手が金メダルを獲得し、恵子にメダルをわざわざ見せに来てくれた。恵子はその気持ちが嬉しく、三郎にもその話を教えた。三郎の話を聞いて頑張れたのだから、ダラバを作るのも頑張ってと恵子は励ます。
  • 夜に三郎たちは集まって故郷の名産が届いたので食べていた。自分たちが故郷の味を食べて一人じゃないと思えるように、カディナもきっと同じ気持ちだと考え、なんとしてでもダラバを作ろうと決心する。
  • チャドの選手団の人にダラバの聞き込みをし、試行錯誤しながらなんとか作り上げた。それをカディナに食べさせると喜ぶが、母親の作るダラバには“ティラピア”という魚が入っているという。
  • ティラピアは日本にはいない魚だが、村山に相談したところマダイで代用できるかもしれないという。三郎はマダイを使ってもう一度カディナに食べさせると、これは故郷の自分の家の味だととても喜んでくれた。
  • カディナはその後、準決勝に進むが敗退してしまう。意気消沈していると思われたカディナだったが、予選より0.2秒早かったと自分の力を出し切ったことでチャドへ胸を張って帰るという。
  • 折り紙で作った金メダルを三郎の首にかけてやり、つたない日本語で「美味しかった。ダラバ勇気出た、ありがとう」とカディナは感謝を伝えた。
  • それぞれが故郷に戻る時、お互い目標を言って別れる。秋田へ戻った三郎は、一回り大きくなって帰って来た。その厨房の片隅にはカディナのくれた金メダルがかかっていた。

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【夢食堂の料理人】の感想

1964年という時代がいわゆる高度経済成長期なため、出てくる人たちがみんな輝いています。頑張れば頑張っただけ報われる、そういう時代背景の良い部分が描かれています。また、戦前世代の人と戦後世代の二つの世代の人が、オリンピックという“平和”の祭典を見る姿は感慨深いものがありました。

料理とはどういったものか?自分たちの知らない料理や文化、そういったものを尊重しながら“人に喜んでもらう”ということを第一に考え成長していく姿は、見ていて気持ちがよかったです。物語の展開もサクサク進んでいき、恋愛要素があるのかと思いきや、一期一会の爽やかな関係性でした。

意地悪をしてくる悪役のような人物もなく、成長を温かく見守ってくれる料理長や、各地方から選ばれて来た若い料理人たちが協力して、物事を解決していくのも面白かったです。

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【夢食堂の料理人】のモデルとなった人物

さすがに全部架空というわけにも行かない話ですので、元になった人物が何人かいます。判明した範囲でご紹介します。

村山信一:村上信夫氏

後の帝国ホテル総料理長である村上信夫氏がモデルとなっています。実際に“富士食堂”の料理長でした。この富士食堂は日本、アジア、中東の選手団向けの食堂だったらしく、ドラマではアメリカやイタリアの選手なども来てステーキを食べてましたが、実際はそうではなかったのかもしれません。

大使館を訪ね駐在員の奥様に聞いて料理のレシピを作ったというのも本当で、作り方がわかっても食材を入手するのが大変だったようです。食材の量が必要なため生鮮食品だけではまかないきれず、ニチレイと冷凍技術の開発をし、ドラマの冒頭で紹介していた自慢の冷凍庫がこれに当たります。

カディナ:Ahmed Issa選手

チャドの代表選手は当時2人来日し、800mに参加したのはIssa選手となります。21歳で参加し実際の結果も準決勝敗退でした。また、1968年に開催されたメキシコシティーオリンピックにもチャド代表で参加しました。その時は800mと1500mに参加したようです。800mでは予選敗退し、1500mで準決勝敗退でした。

公式スタッフブログのほうでは、彼は内戦に巻き込まれ数奇な運命をたどったと書かれています。Issa選手は没年が1983年となっていて、生まれが1943年なので40歳で亡くなられたことになります。チャドは1965年から1989年にかけて内戦だったようなので、内戦前の1964年に東京オリンピックに参加し、内戦中の1968年になんとかメキシコシティーオリンピックに参加したことになります。

チャドという国はどういう国か?詳細はこちらで確認できます。

ヒディング選手:アントン・ヘーシンク選手

恵子が髭を剃っていたヒディング選手はヘーシンク選手です。実際も無差別級の決勝で、日本代表神永昭夫選手を破っての金メダルを獲得しました。当時このヘーシング選手が勝ったことは、柔道がお家芸である日本では衝撃となり試合後の武道館は静まり返ったそうです。しかし、この時ヘーシング選手が勝ったことにより、柔道は世界に広まったという部分もあったようです。

その後、1973年にプロレスデビューをして全日本プロレスに参加します。1978年に引退した後は指導者として様々な活動をし、カラー柔道着の導入を実現させたりしました。

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【夢食堂の料理人】に出てきたダラバのレシピ

ドラマで出てくる“ダラバ”ですが、どんな料理なのか?公式スタッフブログにレシピが載っていたので引用します。

ダラバ(Daraba)[チャド]のレシピ

材料(1人前)

オクラ:みじん切り10本
玉ねぎ:みじん切り1/2個
コリアンダー:粉末少々
さつまいも:少々みじん切り
オリーブ・オイル:2スプーン
水:1カップ
ティラピア(代用:真鯛):1尾
トマトペースト:1ティー・スプーン
ピーナツバター:1スプーン
フェンネル:粉末少々
塩:1/4ティー・スプーン
ご飯:1合をすりつぶしてきりたんぽのように

作り方

オクラをねばりがしっかりと出るまでみじん切りにし、たたき切りにする。鍋の玉ねぎが十分煮えたら、その他の具材、塩を加え全体を混ぜる。その後、オクラを入れ、よく火を通す。同時にティラピア(マダイ)を切り身にしていためる。いためた切り身を鍋に加え、ピーナツバターも加える。最後に、とろみと味を調節していく。

ポイント

フフという主食は本来雑穀で作るが、今回はご飯をすりつぶすことによって代用する。
ティラピアの代用としてマダイを使用する。頭はよく火を通し、皿にそえる。
よく火を通し、ねばりがしっかり出ることを確認する。
塩気が強くならないよう注意する。

「夢食堂の料理人~1964東京オリンピック選手村物語」放送後、”ダラバ”料理レシピ公開!!

塩気が強くなりすぎてはダメらしく、「アフリカの優しい自然の味なんだ」と三郎もドラマ内で言ってました。
この料理を登場させるのに苦労した裏話など、ドラマを見た人なら楽しめる話がスタッフブログに書いてあります。

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目玉焼きの種類

目玉焼きだけでも実は何種類もあり、さらに黄身の硬さにまで名前がついていました。どんなものがあるか調べてみました

  • サニーサイドアップ(sunny-side up)片面だけ焼く。固焼きにする場合は、少量の水を入れて蒸し焼きにするといい。
  • ターンオーバー(turn over)両面を焼く。両面を焼くためハンバーガーやサンドウィッチの具に向いている。
    • オーバー・イージー(over easy):白身がやわらかく黄身もほとんど液状。オーストラリアなどはサニーサイドダウンと呼ぶ。
    • オーバー・ミディアム(over medium):黄身は半熟
    • オーバー・ハード(over hard):黄身まで固焼き。オーバー・ウェルともいう。
  • ベイステッドエッグ(basted egg)少量の水を加えて蓋をし、蒸し焼きにする。

目玉焼き一つとってもこだわりがあったりするあたり、当時の日本人には驚きだったかもしれません。三郎の幼馴染である道子は、ターンオーバーを“失敗した目玉焼き”だといいます。最初三郎は自分が美味いと思うターンオーバーを道子に出しますが、選手村から戻ってきた時には道子の好きな“サニーサイドアップ”をちゃんと出します。個人個人の好みに合わせて提供することの大切さを知った、三郎の成長を感じられるシーンでした。

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ステーキの焼き方の種類

ミスターウェルダンなんていわれていたカディナですが、人それぞれ好みが焼き方にあるようで、ドラマ内でも大変そうでした。どんな焼き方の種類があるのでしょう?

  • ロー(raw)生の状態です。
  • ブルー(blue / bleu)肉の表面を数秒焼いた程度。
  • ブルーレア(blue rare)ブルーよりは焼きますが、中は殆ど焼けてません。
  • レア(rare)肉の周りは焼けていますが、中心は生の状態。“たたき”のような状態です。
  • ミディアムレア(medium rare)レアよりも火は通しますが、中心はまだ生です。
  • ミディアム(medium)切ると肉汁が出る、まだ赤い部分がある状態です。
  • ミディアムウェル(medium well)焼けた部分が多くなり、生の部分はありません。
  • ウェル(well)ミディアムウェルよりもピンク色が少ないです。
  • ウェルダン(well done)ピンク色も殆どなく、全体的によく焼けています。
  • ベリーウェルダン(very well done)ウェルダンをもっと焼き、肉汁は全く出ません。

ドラマ内では衛生状態があまりよくない国の人は、よく焼けているのがご馳走と思うかもしれないと言っていました。寄生虫や細菌がいる可能性もあるので、確かに衛生状態や品質が保証されない場合は、ベリーウェルダンにしたほうが安全です。また、ステーキは当時の日本人は食べたこともない、なんて人もいたようでドラマ内でも言っていました。

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オリンピック選手村について

ドラマ内でもいっていましたが、現在の代々木公園あたりにありました。米軍の居住地を利用した施設だったので、海外から来た人は住みやすかったようです。

  • 元は米軍居住地域だった“ワシントンハイツ”跡地
  • 東西800m、南北1400m、敷地総面積は66万平方メートル
  • 5900人を収容する施設

当時の建物が1つだけ園内に残っています。オランダ選手団が使用したもので、中には入ることはできませんが窓から内部が見えます。いわゆる当時のアメリカっぽい平屋の住宅です、今見ても可愛らしいです。

代々木公園公式HP:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/view039.html

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国立競技場と学徒出陣について

“オリンピックママ”こと芳江が21年前の戦中のことを思い出して、当時のことを少し語ります。三郎たちは戦後に生まれたのか小さすぎて覚えていないのか、この当時のことは知らないようでした。

  • 元は明治神宮外苑競技場
  • 戦中は学徒出陣の壮行会に使用された
  • 終戦後、アメリカ軍に接収される
  • 1956年に文部省に譲渡
  • 1958年に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成

オリンピックが1964年に開催されるので、6年前に完成したということです。今回のオリンピックではまだ競技場は完成していないようですが、間に合うのか?きっとなんとかするのでしょう。

学徒出陣を見ていた当時の女学生だった芳江は、この当時のことを振り返り語ります。戦争が終わり平和の象徴でもあるオリンピックをこの場で開催することに、一際感慨深いものがあったのだろうと思います。この時、東条さんがというセリフは時の首相である東条英機を指しています。

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【夢食堂の料理人】のその他気になったこと

  • 鹿児島弁を英語だと思っている三郎
  • 英語わかるのか?と聞かれフランス語ですと答える山田
  • バケツリレーは途中で結構零れている
  • ヒディングが大きくて後ろから前掛けができない恵子
  • 気づいたヒディングが体をずらしてくれる気遣い
  • カディナの握手はすごく痛い
  • 山田は実は愛知出身だった
  • 三郎の夢は現実的
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【夢食堂の料理人】のロケ地

ドラマでアメリカ式の住宅の数々が使われています。住宅は福生市にも沢山あるのですが点在しているので、まとめてある入間市をご紹介します。

ジョンソンタウン

横田基地も入間基地も年に一回、お祭りの時に中に入れます。入間はブルーインパルスの曲芸飛行が見れますし、横田基地はアメリカのなんだかよくわからない食べ物とか食べれたり、米軍の飛行機とかが見れます。どちらも行ったことありますが面白いです。

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【夢食堂の料理人】のまとめ

話としては若者が料理を通して成長していく話で、見ていて嫌な気分にもならない爽やかなドラマです。時折当時の映像が入り、現在との時代を比べてみるのも面白いです。言葉がその地方の言葉をそのまま話すので、聞き取りづらかったりする部分もあったりしますが、各地から若者が集められているという臨場感があっていい部分もあります。

“おもてなし”や“平和”をそんなに押し付けてもきませんし、三郎たちが成長していく過程の一つとして入ってくる感じです。三郎がドラマ内で言いますが、国は関係なく三郎はカディナの喜ぶ顔が見たい、ただそれだけの純粋な思いの話となっています。

この後、全国各地に戻った料理人が洋食を広める結果にもなったようです。また冷凍食品の技術が向上するきっかけにもなったということです。オリンピックという一大イベントは、様々な恩恵を食の部分でももたらしたことがわかります。

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