2020年8月15日にNHKで放送された【太陽の子】のネタバレと感想をまとめました。
三浦春馬さんが出演している作品で、ドラマ内ではどのような役だったのか?そのあたりについても掘り下げます。
また、終わり方がどうとでもとれる終わり方をするドラマなので、勝手に考察もしてみました。
【太陽の子】のキャストとスタッフ
キャスト
- 石村修…柳楽優弥
京都帝国大学の学生で、原子物理学者を志す。
世津に思いを寄せている。 - 朝倉世津…有村架純
修と裕之の幼馴染。
建物疎開で修の家に居候することに - 石村裕之…三浦春馬
修の弟。軍人だが一時的に肺の療養をしに帰宅
世津に思いを寄せている。 - 澤村…イッセー尾形
陶器屋「釜いそ」の主。
焼き物の釉薬として使用している「硝酸ウラン」を修に提供。 - 朝倉清三…山本晋也
世津の祖父。
世津と一緒に修の家に居候。 - 荒勝文策…國村準
京都帝国大学理学部の教授。
日本の原子物理学の第一人者。
海軍の依頼で新型爆弾の開発を引き受ける。 - 石村フミ…田中好子
修と裕之の母。
軍人だった夫を失って以来、2人を女手一つで育てた。
キャスト
- 作・演出:黒崎博
- 音楽:Nico Muhly(ニコ・ミューリー)
【太陽の子】の視聴率
10.7%
【太陽の子】の見逃し配信と再放送
再放送は8月19日(水)23時~25時にNHK総合で放送予定です。
【太陽の子】のあらすじ
建物疎開のため自宅を失った世津(有村架純)と清三(山本晋也)は、幼馴染の修(柳楽優弥)の離れに居候を始める。
修は第二次世界大戦末期、京都大学の物理学研究室に海軍から、新型爆弾を作る密命が下された研究室にいた。
ウランを入手するのも一苦労で、釜いそへ向かい澤村(イッセー尾形)から入手していた。その中に含まれるわずかな量のウラン235を取りだすという実験が始まる。
遠心分離機にかけて取りだすつもりが、なかなか必要な回転数にならず研究は頓挫していた。
そんな折に裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰宅する。再会を喜ぶ世津や母のフミ(田中好子)だったが、裕之はあくまで一時的な帰宅で再び戦地へ行く予定だった。
京都にも空襲警報が響く中、修は一人研究室で考える。そこを同僚がやってきて避難させ、修たちは避難している間、研究について迷いが生じ始める。
沢山の人が死ぬ原子核爆弾、それを作ることは果たして正しいのか?悩む学生たちに荒勝教授(國村準)は話す。「世界を変えるために科学をやる」と。
しかし、次第に戦況は悪化。ラジオからはアメリカが沖縄を陥落したという放送が流れる。最早一刻の猶予もない状況だが、遠心分離機は相変わらず必要な回転数に満たず、ウランを取りだすことすらできていなかった。
裕之が再び軍に戻るといい、その前に世津と修と3人で海へ行く。楽しく時間を過ごし帰宅する途中、バスが故障し足止めされてしまう。そのまま野宿をしていた修たちだったが、目を覚ますと裕之の姿がない。
修と世津は裕之の姿を探しにいき、ようやく見つけた頃にはもう夜が明けていた。海岸にいる裕之に向かって声をかける修、しかし裕之は海へどんどん入って行ってしまい……。
【太陽の子】ネタバレ
1:最後の日
海へ入って行ってしまう裕之を必死に止める修、無理やり浜へ上げて助け出します。
「怖い」と泣きながら告げる裕之、なぜこんなことをしたのか?
それは「自分だけ死なないわけにはいかない」と、他の兵士が死んでいっているのに逃げれない状況と、でも死ぬのは怖いという葛藤がありました。
そんな姿を見ていた世津は、修と裕之を抱き締めて「戦争なんて早く終わればいい。勝っても負けてもどっちでもいい」と、とにかく早く戦争を終わる事を願います。
自宅に戻り髪を母に剃ってもらう裕之、いよいよ軍に戻る日が来ました。
あれだけ怖いといっていたのに、もう覚悟を決めたようです。
世津を幸せにしてやって欲しい、そう語る裕之に修は世津はお前が好きなんだといいます。
しかし、兄貴はわかっていないなと、裕之は返します。
そこへ勝手に決めないでと世津がやってきます。
そして世津は戦争が終わった後のことを話始めました。
- 戦争が終わったら働く
- 教師になって子供たちを教える
- 子供たちの夢を聞いたらおかしなことをいう
- 日本には金も物ももうない、あるのは人だけ
- 人に教育をし、結婚はその後
働いている工場の子供たちが、夢は早く結婚して子供を沢山産んで、国に捧げる。というようなことをいいます。
そんなことを言わせているのは大人だと、世津はこんな状況を悲しみ、まずは教育の大切さを感じます。
そして、裕之の手を握り無事に帰ってくることを約束させ、修の手を握り学問に励むことを約束させます。
いっぱい未来の話をしよう。裕之はそう語りました。
別れの日、母はおにぎりを持たせ、裕之の耳に触れ悲しげな目で見つめます。
世津はお守りを渡し、裕之はそれを首にかけて軍に戻りました。
裕之は軍に戻る
2:間に合わない研究
それからの修は研究に没頭します。しかし、時は既に遅かったのです。
広島に原爆が投下されてしまいました。
その状況を確認しに、修たちは広島へ向かいます。
すべて街が破壊され、人は丸焦げになり、瓦礫の山という状況です。
自分たちが作ろうと思っていたのはこれなのか?同僚の一人が語ります。
見るも無残な光景の中、泣いている女の子を一人保護します。
遺体の山を積み上げて焼いていたりと、地獄絵図が辺りで繰り広げられていました。
修が自宅に戻ると様子がおかしいことを知ります。
世津は顔を見るなり泣き崩れ、母の元へと向かった修は手紙を渡されます。
それは裕之からの手紙で、帰還することのない命令が出たと書かれていました。いわゆる特攻です。
感謝の思いが綴られている手紙、裕之はお国のために笑って死にますと書かれた遺書でした。
- 研究は間に合わず広島に原爆が落ちる
- 裕之は特攻して戦死
3:修の覚悟
修の中で何か張り詰めていたものが切れてしまったのか、教授のところへいって広島への調査を志願します。
しかし、広島へは行かないといいます。どういうことなのか?
世津と母の2人へ向かい修は次は京都に落ちる可能性があるから、避難をして欲しいと告げます。
修はどうするのかと問われ、自分は比叡山に登るといいます。
科学者として比叡山に登ってこの目で原爆が爆発する瞬間が見たいというのです。
弟に続いて兄も失うことになると思った母は、科学者とはそんなに偉いのか?と聞きます。
そしてこれが科学者の仕事なのか?と問い、修ははいと答えます。
好きにすればいい、でも科学者の息子を持った母の責任として、自分は避難しない。母は修にそう告げました。
修は山に登って原爆が爆発する瞬間を見たいと願う
4:ドラマの結末
その後、修は一人支度をして家を出ていきます。
玄関には母が作ってくれたお弁当が置いてありました。それを持って修は山を目指します。
何を思って山を登るのか、ただ一人黙々と山道を行きます。
そこから当時の京大の研究室の人たちの写真が映り、この話のドキュメンタリー部分です。
ここでナレーションが入ります。
日本は、世界は、どうなってますか?平和ですか?幸せですか?
そしてシーンは最初に戻り、現代の広島になります。
残されたままの瓦礫を歩く修が映って終わります。
【太陽の子】の補足
三浦春馬さんが演じていた役はどんな役だったのか?詳細を記します。
石村裕之
- 修の弟で陸軍の下士官
- 幼馴染の世津に思いを寄せる
- 配置換えのため肺の療養も兼ねて一時帰宅
どうやら兄弟間でお互いに遠慮している部分があるようです。
兄は弟が母にかわいがられていると思う反面、弟は兄が科学者になることを後押ししたことに思うところがありそうです。
兄は子供の時、なぜ弟に遠慮するのか?と母親に問われます。
何も答えませんが、母がコマがどうして回るのか、いつか教えてくれと言われ科学者を志したような感じです。
元々軍人の父親なため、軍人にしたいと思っていたのに修がならなかったからか、裕之が軍人になってしまいます。
そんな裕之は一度は死ぬのが怖いと入水しますが、再び軍へと戻ります。
最後の遺書は直筆なのかはわかりませんが悲しい内容です。
母上様、生をうけ二十六年の長い間、小生を育まれた母上にお礼申し上げます。
飛行機の道を選んだことは、母上様の胸を痛めたことと思います。親不孝の数々、お許し下さい。
再び還らざる出撃命令が下りました。今に及び、何も心残りはありません。
この手紙が着く頃、戦果をあげてみせます。
裕之はお国の為、笑って死にます。
母上と兄上の幸福をお祈りします。
ありがとう。さようなら。
実際の手紙はもっと長いものです。2枚にわたり書かれていました。
文面は全部見えませんが補足をしますと、彼は小隊長として20の若武者を引き連れて出撃します。
言葉では飛行機の道といいますが、文面には航空の道と書かれています。
いわゆる特攻という攻撃を仕掛けたものだと思われ、裕之は帰らぬ人となりました。
三浦さんが演じていることで、より深い悲しみを残すシーンとなっています。
【太陽の子】の考察
結局最後、修がどうなったのか?はっきりとドラマで結末はわかりません。
そこで修が生きている場合と死んでいる場合、その両方を勝手に考察してみました。
1:修が生きているとしたら?
比叡山に登るといって家を出て行く修、原爆が落ちる瞬間を見たいという理由です。
では修は生きているのか、死んでしまったのかということが気になります。
- 生きている場合:京都に原爆は落ちていないので、あの後修は下山して家族の元に戻った
- 死んでいる場合:最初から死に行くために山へ登った
歴史上、京都には原爆は落ちていないので、普通に考えれば修は生きていると思われます。
その場合、修は終戦をきっかけに下山するはずです。
しかし、もし生きていたとするなら、最初のシーンで現代の広島にいる修はなぜ大学生の姿なのか?
確かに大学生のときに原爆が落ちたので、その当時のままの修が思い出の地に現れたということも考えられます。
2:修が死んでいたとしたら?
原爆は京都には落ちなかった、なのに修が死んでいるというのも不思議です。
ただ、修は確実に死を覚悟して比叡山を目指したはずです。
それは、母親の言動からも修が死にに行こうとしていると教えてくれます。
母は比叡山へ行くという修に対し、科学者はそんなに偉いのか?とか、好きにすればいいといいながら、科学者の息子を持った責任で避難はしないと断言します。
そして次の日の朝、玄関先にお弁当を置いておいてくれます。
裕之が軍に戻るときも、母はお弁当を渡します。今回のお弁当もまるで最後の別れを暗示するようです。
裕之が死に、原爆の研究も他国に先を抜かされ、広島での惨状を見て修は相当ショックを受けていたはずです。
生きる意味や目的について悩んだとしてもおかしくありません。
また、実験バカであることや、発する光に目を焼かれてもいいなどいうあたり、修は本当に原爆をこの目で見て死にたかった可能性もあります。
もし原爆が落ちようが落ちなかろうが関係なく、死ぬために比叡山に行ったとするなら、現代の広島にあの姿の修が現れたのも納得がいきます。
なぜなら、死んだときのままの年齢で、現代に亡霊として修が現れたと考えられるからです。
【太陽の子】の感想とまとめ
実話を元にしたドラマということで、日本が原爆開発に着手していた過程を知れます。
日本が作らなければアメリカが作る、アメリカができなければソビエトが作る。遅かれ早かれどこかの国が作り、そして世界の運命を決めることになるとドラマ内のセリフで語られます。
学生たちも科学を兵器に使用することを悩み葛藤します。
しかし、時は既に遅く日本が高濃度のウランを作る間もなく、原爆はアメリカによって投下されました。
ドラマ内で具体的に日付が出てこないため、今がどれくらいの時期なのかというのが時々入るラジオの放送で判断するしかありません。
アメリカが沖縄の首里を陥落したとき、研究室ではまだウランを分離することもできていません。
アメリカはこのころ、既に原爆を投下する場所のリストアップを始めています。
要するにアメリカの研究から大幅に遅れをとった研究でした。
戦争の悲惨さや戦争に裂かれた家族や青春という話なのかといえばそうでもなく、“研究”の部分が多く出てきます。
なのでこのドラマは日本も研究を頑張っていましたという話なのか、それとも日本の研究はお粗末でしたという話なのか?と、思わず考えさせられます。
また、ラストの終わり方もどうとでもとれる終わり方なため、人それぞれドラマに対して抱く印象が違うでしょう。
ただ一つ言える事は、三浦春馬さんの姿が今となっては切ないドラマです。