ドラマ【左手一本のシュート】のネタバレと感想|中川大志主演の感動実話!

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3月14日にBS-TBSで放送された【左手一本のシュート】のネタバレと感想をまとめました。

中川大志さんが主人公を演じるこのドラマは、実話を元にした話となっています。諦めない気持ちが夢を実現させる、感動の物語です。

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ドラマ【左手一本のシュート】のキャストとスタッフ

  • 田中正幸…中川大志
    日川高校バスケットボール部部員
  • 古田厚司…駿河太郎
    日川高校バスケットボール部顧問
  • 二宮紀子…安藤玉恵
    田富中学校時代の正幸の担任
  • 丸谷守保…勝矢
    神奈川リハビリテーション病院理学療法士
  • 逆瀬川浩志…石内呂衣
    日川高校バスケットボール部(正幸と同い年)
  • 名取秀…細田佳央太
    日川高校バスケットボール部(正幸と同い年)
  • 古屋卓人…豊田真丸
    日川高校バスケットボール部(正幸と同い年)
  • 桑原健太…前田旺志郎
    日川高校バスケットボール部(正幸より1歳下)
  • 中村椋耶…菅原健
    日川高校バスケットボール部(正幸より1歳下)
  • 小池健二…鈴木啓
    日川高校バスケットボール部(正幸より1歳下)
  • 江口篤…入江海斗
    日川高校バスケットボール部(正幸の後輩)
  • 金丸智生…渡辺哲史
    日川高校バスケットボール部(正幸の後輩)
  • 古屋皓瑛…北條慶
    日川高校バスケットボール部(正幸の先輩)
  • 清水湧…ともやん(Lazy Lie Crazy)
    甲府西高校バスケットボール部
  • 市原梨沙…高岡凜花
    日川高校の生徒
  • 田中正喜…小市慢太郎
    正幸の父
  • 宮崎宏道…飯田基祐
    平塚市民病院外科医
  • 柏木正好…吉澤健
    柏塾訓練士
  • 大貫はるな…原田佳奈
    神奈川リハビリテーション病院リハビリスタッフ
  • 森川透…石黒賢
    田富中学校バスケットボール部顧問
  • 田中一女…永作博美
    正幸の母

スタッフ

  • 脚本:吉田紀子
  • 演出:村上牧人
  • 原作:島沢 優子『左手一本のシュート~夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』(小学館文庫)
  • テーマ曲:MONGOL800『あなたに』
  • 製作:テレパック、BS-TBS
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ドラマ【左手一本のシュート】のあらすじ

2007年4月、高校の入学式の3日前。中学時代からバスケ部で活躍していた田中正幸(中川大志)は、入部が決まっていた日川高校バスケ部の遠征に参加するが、試合会場で突如倒れ、意識を失う。
バスケ部顧問の古田(駿河太郎)に付き添われ、正幸は平塚市民病院に緊急搬送。医師・宮﨑(飯田喜祐)により脳動静脈奇形による脳出血と診断される。古田からの電話で、正幸の母・一女(永作博美)と父・正喜(小市慢太郎)、そして正幸の恩師・田富中のバスケットボール部顧問 森川(石黒賢)も病院に駆けつけた。
緊急手術によって一命はとりとめたものの、昏睡状態は数日間続いた。そして、目を覚ました正幸を待っていたのは、右半身麻痺という、簡単には受け入れがたい事実だった。「これまでのようにバスケをやるのは難しい」という宮﨑医師の言葉…。落ち込む正幸を励まそうと病院を訪ねた一女が見たのは、リハビリ室で懸命に歩行練習をする正幸の姿だった。
「オレ…あきらめ、ない。から。バスケ……やる。から。」
母に告げる正幸。「再び試合のコートに立つ」。夢にむかって、リハビリの日々が始まった。6月、正幸は神奈川リハビリテーション病院に転院。理学療法士・丸谷(勝矢)やスタッフの大貫はるな(原田佳奈)のもと、時には壁にぶつかりながらも、リハビリに取り組んでいく。
そして、脳出血で倒れてから1年。2008年4月、正幸は1年遅れで高校生活をスタートする。バスケ部顧問の古田、田富中バスケ部の森川、そして田富中時代の担任・二宮(安藤玉恵)、リハビリ治療院「柏塾」の柏木(吉澤健)らのサポート。そして、バスケットボール部の先輩・後輩・同級生、チームメイトたちとのとの絆。試合には出られないが、ベンチから出す的確な指示で、正幸の存在は日川高校バスケ部には欠かせない存在になっていく。
「いつか。やがて。きっと。」
森川がふとつぶやいた言葉を胸に、正幸は夢に向かって努力を続ける。はたして、正幸は再びコートに舞い戻ることができるのか──!

公式HPより
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ドラマ【左手一本のシュート】のネタバレ

2007年4月3日、高校入学の3日前、日川高校バスケ部の遠征に正幸たちは同行した。しかし、その後正幸は突然倒れ、病院へ搬送された。病名は「脳動静脈奇形による脳出血」で、生命の危機もあった。手術は成功したが、意識が戻らなかった。

術後8日目にようやく正幸は意識を取り戻し、術後13日目には声を発することができた。だが、右の手足が痺れて動かなかった。中学時代の顧問の森川が日川高校に正幸のことを掛け合い、休学の許可が出た。

正幸はリハビリを開始し、再びバスケをやるという目標を掲げたが、医者からは運動は難しいし、前みたいにバスケをするのは無理だと言われた。

正幸は6月に神奈川リハビリテーションセンターに転院し、本格的なリハビリが開始された。理学療法士の丸谷はかつてバスケをやっていたため、正幸とはすぐに打ち解けた。

正幸は以前のようにバスケをできるか聞いたところ、丸谷は「まずは真っ直ぐ歩くことからだ」と答えた。中学の担任である二宮からは、正幸のリハビリになるからとメールが届き、その後もリハビリの辛さを伝えるたびに、二宮からは励ましの言葉が送られてきた。

正幸は利き手を変更する療法ではなく、右手の訓練をして欲しいと言って聞かなかった。しかし、丸谷は「自立をするために、まずは左手を味方につけろ」と言って怒ってしまった。

母親は再び丸谷に、正幸がコートに立てるか問うと、丸谷は「競技は無理。これまでのレベルでやるには残念ですが不可能です」と答えた。

2007年11月、正幸は退院し、田富中学校を歩いて訪れる。中学時代の顧問である森川や担任の二宮が喜んで迎える。そこで、同じバスケ部の後輩である桑原健太と偶然会い、彼も日川高校へ行くと言う。森川は「いつか、やがて、きっと」という言葉が好きだといい、その続きは自分で考えるようにと正幸に伝えた。

2008年4月、一年遅れで日川高校に入学した正幸は、体育館でバスケ部の練習を見に行き、浩志たちに迎えられる。正幸は浩志に「必ずコート戻るから、それまでチーム頼むわ」と伝え、浩志は引き受ける。後輩の桑原健太が通りがかり、先生によって正幸の世話役に任命される。健太は中学時代から正幸に憧れており、世話をすることに喜びを感じる。正幸は歳こそ上だが同級生なので敬語はやめてほしいと願い、健太は「正幸くん」と呼ぶことにする。

高校に入って正幸は、リハビリ治療院の柏塾に通い始める。そこで訓練士の柏木正好にジャンプの練習をさせられ、50cmもジャンプができるようになる。その成果を見た柏木は「やりようによっちゃ、いいとこまでいくかもしれない」と正幸に可能性を感じた

母は自宅に来た二宮に、正幸は運がいいと話す。バスケがやりたくて日川高校を選んだから、古田先生に会えた。偶然神奈川で倒れたため有名な病院で手術ができ、神奈リハも紹介された。柏塾は学校の近くにあったからリハビリもでき、古田は毎日送迎しバスケの練習にも参加させてくれる。まるで「わらしべ長者」のようだと話し、みんなに支えてもらって生きていると感じていた。父は手作りのバスケットゴールを作って正幸に「練習しろ」と言ってボールを渡した。

日川高校と甲府西高の練習試合で、中学時代のチームメイトである清水湧がの相手チームにいた。正幸と清水は中学時代に田富中のスター選手だった。古田は清水に注目するように正幸に頼むが、日川高校は清水に苦戦し敗北した。正幸は持ち前のバスケセンスがあり、試合後的確な分析を行い、古田は正幸にチームの分析と指導を頼むことにした。

2009年12月、正幸はバスケ部と一緒にランニングするまでになっていた。同級生の梨沙から「どうしてバスケ部にいるの?」と聞かれても答えられず、母親は自分から話す時が来るのかもしれないと見守っていた。そして2010年3月、浩志たちが卒業式を迎える。一緒に体育館へ向かう正幸は、友人からパスを受け取って返した。

2010年5月、関東大会山梨県予選で日川高校は負けてしまう。このとき古田は、気持ちで負けていると叱責した。その後、古田は3年間休まずに部活に来ていた正幸に「試合に出てみないか?」と提案するが、正幸は少し考えた末に即答はしなかった。

正幸は出たいと思っていたが悩んでいた。母は恥をかくのが怖いのか?と問いかける。そして、自分で決めるしかないとアドバイスした。古川は部員達に「正幸にユニフォームを着せたい。ベンチに入れてチャンスがあれば試合に出したい。どう思う?」と問いかける。すると全員が賛成し、正幸を試合に出す事を歓迎した。

健太は「正幸フォーメーション」という作戦を考え、部員たちと練習をする。正幸はパスを受け取るのが難しかったが、古田が健太をパスを出す役に指名し、正幸はシュートを決める

森川と話す古田は正幸をベンチに入れることで、他の選手が試合に出られなくなると分かっていたが、勝つことだけが試合ではないと語る。高校時代ここでバスケをやった事が彼らの心に一生残って欲しいし、人生の支えになるようなチームを作りたいと考えていた。そして梨沙に会った正幸は「バスケが好きだから」と以前答えられなかった答えを教えた。

2010年6月12日、山梨県のインターハイ予選の初戦に、卒業生たちが応援に来ていた。彼らは正幸が試合に出ると思っていたが、正幸は出場していなかった。彼らに詰め寄られた古田は、正幸を出すために30点差をつけろとレギュラーに告げた。今日は正幸のために戦う、レギュラーたちはそう言って試合へ向かう。

第1ピリオドは点差がついたが、第2ピリオドで点差が迫られる。ようやく第3ピリオドで差が開き、第4ピリオドの残り3分に正幸がついに出場した。健太の作戦どおりパスを受け取った正幸がシュートを放つと、ボールはゴールに吸い込まれて決まった。最終的に、日川高校は96対55で勝利し、正幸は自分の夢が叶ったと涙が止まらなかった。

正幸は高校を卒業後、母校の田富中学校に病気の経験の話をしに行った

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ドラマ【左手一本のシュート】の感想

実話を元にした話です。元々県で1、2を争うようなバスケ選手だった少年が、ある日突然倒れて右手と右足がうまく使えなくなってしまいます。しかし、諦めなかった彼は、周囲の助けもあって見事コートに立ちました。このときの実際の映像もドラマ内では挿入され、本当に左手だけでゴールを決めます。

人間の可能性とは正に無限で、誰もが“無理”といっていたことを、少年は成し遂げました。諦めない心に打たれた周囲が自然と支え、なんとしても夢を叶えてやるんだと努力します。自発的に行われることなので、誰一人不満を言いません。

「お涙頂戴の感動話だろ」と敬遠する人もいるかもしれませんが、青春ドラマな部分もあるので、そんなにグイグイ「ここで泣いてください」という過剰な演出はしてきません。根底にあるのは“友情・努力・勝利”といった、仲間や家族の協力を得て努力する少年の話です

まず、正幸の家族が非常に良い家族です。さらに中学時代の先生も、高校時代の顧問もありえないぐらい素晴らしいです。その上、同級生との友情、健太を筆頭にした慕う人も正幸を心から応援します。周りに恵まれているといえばそうですが、それもこれも正幸の人徳あってのことでしょう。きっと、病気になろうがならなかろうが、正幸の周りには常に良い人たちが集ったと思います。

実際の田中正幸さんが、ドラマの終わりに登場します。彼は今28歳で競泳でパラリンピックを目指しているとのことです。彼の夢は育ち続けているとテロップが出て終わりました。

主演の中川大志さんが、右腕が使えない状態で生活し、呂律も回らなかったりする姿を好演します。彼が左利きなのかは分かりませんが、大変な撮影だったのではないかと想像がつきます。BS-TBSの開局20周年記念だから仕方がないのかもしれませんが、これは地上波でも放送して欲しいと思う良いドラマでした。

ドラマ【左手一本のシュート】のいいセリフ

僕の夢は叶った。やがて、きっと…みんなと一緒にコートに立つ夢。

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