浦神鹿と杉下右京は、なぜ理解し合ってしまったのか――「信用できない語手」が暴いた相棒の境界線

ドラマコラム
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※本記事は、相棒24第13話「信用できない語手」の描写を踏まえた考察コラムです。
本編の時系列・事件構造を知りたい方は、こちらのネタバレ解説記事をご覧ください。

【相棒24】第13話「信用できない語り手」ネタバレ解説

相棒season24第13話「信用できない語手」は、フィクサー・浦神鹿という異質な悪を描いた回だった。

だが本当に恐ろしいのは、その悪に対峙する杉下右京が、どこか楽しそうに事件を解いていた点ではないだろうか。

なぜ右京は笑ったのか。
なぜ「続きが気になる」と口にしたのか。
そして、なぜ浦は右京を「友だち」と呼び続けたのか。

このコラムでは、浦神鹿と杉下右京という二人の関係性を軸に、正義と悪が紙一重になる瞬間を読み解いていく。

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浦神鹿とは何者だったのか

浦神鹿は単なる支配者や快楽殺人者とは、異なる存在として描かれている。彼が繰り返してきたのは、殺人そのものではなく、捜査が止まるように設計された「物語」の構築だった。

  • 感情的な第三者が犯人になる
  • 恋愛や嫉妬といった分かりやすい動機が用意される
  • 犯人は必ず死亡し、事件は被疑者死亡で終わる

浦は社会が納得し、警察が踏み込めなくなる構造を熟知していた。だが同時に彼は、その構造を理解できる相手を求めてもいた

だからこそ浦は、自分の計画を完全には隠さず、わざわざ杉下右京の前に姿を現す。浦は理解されない悪ではいられなかった。

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杉下右京が惹かれた理由

杉下右京は正義の人間である。それは間違いない。

だが彼は同時に、

  • 完全犯罪の構造を見抜けてしまう
  • 矛盾を発見することに喜びを覚えてしまう
  • 難解な謎に飢えている

という危うさを持っている。

第13話のラストで右京が見せた笑みは、犯人を取り逃がした悔しさではない。

「続きが気になる、それだけです」

この言葉は、刑事としてはあまりにも不穏な本音だ。

右京は悪を許してはいない。だが、悪の構造を理解できてしまう自分自身から、完全に距離を取れていない。

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浦神鹿の生い立ちは、どこで歪んだのか

浦の生い立ちは、断片的にしか語られない。だがその断片をつなぎ合わせると、一貫して「健全ではない共同体」が浮かび上がる。

最初の共同体

浦は幼少期、家賃が極端に安い木造アパートで、数人の男女が暮らす「特別な共同体」に属していたとされる。

宗教的集団だった可能性も、虐待的な環境だった可能性も否定できない。重要なのは、いずれであっても子どもが守られる環境ではなかったという点である。

火事と唯一の生存者

その共同体は火事で全焼し、関係者は全員死亡する。唯一生き残ったのが、当時10歳の浦だった。事故か、事件か、あるいは浦自身が関与していたのかは分からない。

だが浦にとっては、

  • 火がすべてを消した
  • 死が問題を終わらせた

という体験だけが残った可能性が高い。

後年、放火殺人という形で「火による解決」を繰り返す構造と、無関係とは考えにくい。

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「父と同じことをする」という歪んだ継承

火事の後、浦は児童福祉施設に入り、浦光悦に引き取られる。光悦は浦を「特別な子ども」と評価し、名前を与え、家族の中に配置した。

しかし浦の語りからは、光悦にとって家族とは、壊してもいいおもちゃのような存在であったことがうかがえる。

浦は後に、自分にも養子がいると語る。

「父と同じことをしようと思って」

この言葉は、光悦を肯定しているわけではない。浦がやろうとしたのは、自分が壊された構造を、再現し直すことだった。

養子は、

  • 完全犯罪のための駒
  • 同時に、幼少期の自分自身

という二重の意味を持つ存在だった。

だから浦は、養子に執着し、感情を見せ、そして最終的に自ら手にかけてしまう。

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右京が動機を採用しなかった理由

浦は右京に、自分の過去と動機を語る。だが右京は、それを受け取らない。

「動機は意味を持たない。事実確認だけすればいい」

これは、浦の語りを嘘だと断じた言葉ではない。その物語を採用すること自体を拒否した態度である。

もし受け取ってしまえば、右京自身が浦の物語の登場人物になってしまう。だから右京は拒否した。

この拒否を理解したからこそ、浦はこう言った。

「わかり合ってる感じ」

2人はこうして理解し合ってしまった。

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「続きが気になる」という危うさ

事件のすべてが明らかになったあと、右京は紅茶を飲みながらこう呟く。

「浦神鹿は、犯罪をもって友愛を示す、ですか……」

そこには怒りも嫌悪もない。あるのは、静かな興味だけだ。

「笑ってませんか?」と亀山に問われた右京は、こう答える。

「続きが気になる、それだけです」

これは、事件が終わっていないという意味ではない。思考が終わっていないという宣言だった。

相棒が右京を正義にとどめている

浦神鹿と杉下右京は、能力の面では紙一重だった。完全犯罪を作れる人間と、完全犯罪を解けてしまう人間。

二人を分けたのは、知性でも正義感でもない。一人で完結するかどうかである。

右京には、亀山薫がいる。感情で怒り、理屈を拒否し、物語を壊してくれる相棒がいる。浦には、それがなかった。

最後に

第13話が不気味なのは、悪が逃げたからではない。正義の側にいる人間が、 自分自身の危うさに気づいてしまったからだ。

それでも右京は、相棒とともに事件を追い続ける。それこそが、「相棒」という物語の核心だ。

そして、我々自身もまた“正義の側の危うさ”と向き合い続けていくのだろう。

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