『世にも奇妙な物語’26夏の特別編』は、オチだけを追うと見逃してしまう怖さがあった。
気になったのは、派手な怪異ではない。
犬。
押し入れ。
そして、3つの皿。
どれも一瞬で通り過ぎるような違和感だが、よく考えると、それぞれの物語の一番怖い場所に置かれていた。
『遺体は一体……』では、犬がいたのかどうか。
『実家じまい』では、押し入れは本当に逃げ場だったのか。
『おじさんになりたい』では、なぜ朝食が3人分しか用意されていなかったのか。
今回はこの3つの違和感から、『世にも奇妙な物語’26夏の特別編』の後味の悪さを考えてみたい。
※全4話のオチやキャストを先に確認したい方は、こちらの記事でまとめています。
また、過去の『世にも奇妙な物語』記事はこちらにまとめています。
今回の怖さは“オチ”よりも違和感にあった
『世にも奇妙な物語』には、最後の数秒で意味が反転する話が多い。
今回ももちろん、各話にオチはある。
母親がオークションに出される。
消えたはずの遺体が戻ってくる。
実家じまいのはずが、娘自身がしまわれる。
おじさんになりたかった少女が、父親の中に入る。
どれも奇妙だ。
ただ、今回の怖さは「最後に何が起きたか」だけでは終わらない。むしろ怖いのは、その少し前に置かれた小さな違和感だった。
普通なら気にしない。
見逃しても話は分かる。
だが、いったん気づくと物語の輪郭が変わる。
それが今回の「犬・押し入れ・3つの皿」だった。
違和感①『遺体は一体……』犬は本当にいたのか
『遺体は一体……』で一番怖いのは、消えた遺体ではない。
犬である。
桜庭は庭に犬がいないことに気づく。
しかし、よく考えると視聴者は犬を見ていない。
自分が見逃したのかもしれないと思い何度も見直したが、桜庭が指摘する場所に犬はいなかった。
つまり、消えたのは犬ではない。
「犬がいたはずだ」という桜庭の認識のほうだった可能性がある。
この話は一見すると元刑事・桜庭が隠蔽工作を見抜くミステリーである。実際、栗山たちは桜庭の記憶の混乱を利用し、遺体や血痕や凶器を「最初からなかったもの」にしようとしていた。
しかし、犬だけは少し違う。
遺体はあった。
血痕もあった。
凶器もあった。
立ち入り禁止のテープもあった。
ウォーターサーバーのボトルも、桜庭が違和感に気づく手がかりになった。
では犬はどうだったのか。
もし犬が最初からいなかったのなら、桜庭は正しい部分と間違っている部分を同時に抱えていたことになる。
そこが怖い。
桜庭はベテラン刑事であり、栗山たちの隠蔽を見抜いた。
しかしその一方で、彼の認識が完全に信用できるわけでもない。
そもそも、桜庭は現場に行っていないのかもしれない。
だからこそ、ラストの電話も少し揺らぐ。
本当に新たな事件の依頼だったのか。
それとも、桜庭の中で鳴っている“刑事であり続けたい”という声だったのか。
事件は解決した。
だが、桜庭の見ている世界がどこまで本当なのかは、完全には解決していない。
犬はその小さな裂け目のように見える。
違和感②『実家じまい』押し入れは逃げ場だったのか
『実家じまい』で印象に残るのは、団地そのものの不気味さだ。
古い団地。
窓からのぞく老人たち。
パンダの手作りグッズ。
母を信仰するように集まる住民たち。
そして、部屋に残された骨。
閉じた共同体に取り込まれるフォークホラーのような怖さがある。
だが、この話で本当に怖い場所は団地全体ではない。
押し入れである。
沙耶は子どもの頃、母から逃げるように押し入れへ入っていた。母の支配、干渉、言葉の暴力から逃れるための場所だった。
押し入れは、沙耶にとって避難場所だった。
ところがラストでは、その意味が反転する。
住民たちに追い詰められた沙耶は、また押し入れへ逃げ込む。
一度は母の霊らしき存在に助けられたようにも見える。
しかし最後に分かるのは、沙耶が母に抱え込まれたまま、押し入れの中にしまわれていたという事実だった。
逃げ場だった場所が、今度は檻になる。
ここが残酷だ。
沙耶は実家を片付けに来た。
過去を終わらせに来た。
母から自由になるために来た。
しかし最終的には、母のいる場所へ戻される。
「実家じまい」というタイトルは、家を片付ける話に見える。
だが実際にしまわれたのは、実家ではなく沙耶のほうだった。
押し入れは、母から逃げる場所ではなかった。
母に見つかる場所だった。
その意味に気づくと、この話は団地ホラーというより“実家ホラー”に見えてくる。
違和感③『おじさんになりたい』なぜ朝食は3人分だったのか
『おじさんになりたい』は、最初こそ奇妙で少しユーモラスな話に見える。
小学生の小春は、おじさんになりたい。
押し入れにある“おじさん”を着ると、本当におじさんの姿になれる。
発想だけ見れば、いかにも『世にも奇妙な物語』らしい。
だが、物語が進むにつれて笑えなくなる。
小春が本当に欲しかったのは、おじさんになることではない。
母を助ける力だった。
父に怒鳴られ、母が傷つき、家庭の空気が壊れていく。子どもの小春にはどうすることもできない。だから彼女は、おじさんを着る。
「おじさんだから、戦える」
この言葉はかなり切ない。
子どものままでは声が届かない。
子どものままでは母を守れない。
だから大人の体を借りる。
しかし、おじさんになっても家庭は救えない。
父は変わらない。
母も小春を守りきれない。
そして小春は最後に、父の中へ入る。
問題はその翌朝だ。
小春は千夏にファスナーを閉めさせた後「ありがとう。これでもうず~っと大丈夫だよ」と言う。
まるで戻る気がないようにも聞こえる。
そして千夏が「お姉ちゃんは?」ときくが、小春は何も答えずに下へ降りる。
朝食の席には、3人分の食事しか用意されていない。
父、母、妹。
そこに小春の分はない。
小春がいなくなったのに、母は心配していない。
家族は普通に朝を迎えている。
この違和感が怖い。
普通に考えれば、小春がいないことは大事件である。
実際ドラマ内では小春がいなくなって両親は騒いでいた。
しかし物語の中では、まるで最初からそこに小春の席などなかったかのように朝食が並んでいる。
父の中に入った小春は、家族を救ったのかもしれない。
父を変えたのかもしれない。
母を守れる存在になったのかもしれない。
けれど、それは小春自身が消えることで成立している。
小春は家族のために父になった。
そのかわり、小春という子どもはいなくなった。
3つの皿は、そのことを静かに示している。
誰も騒がない。
誰も探さない。
誰も小春の席を用意しない。
その朝食は、幸せな家族の風景ではない。
小春が“なかったこと”になった食卓である。
3つの違和感に共通するもの
犬。
押し入れ。
3つの皿。
一見すると、それぞれ別の話の別の違和感だ。
だが並べてみると、共通しているものがある。
それは、消えたものを世界が気にしない怖さである。
『遺体は一体……』では、犬がいたのかどうか分からない。
『実家じまい』では、沙耶が押し入れにしまわれても、外の世界は進んでいく。
『おじさんになりたい』では、小春の食事が用意されていない。
そこにいたはずの存在が消える。
あるいは、最初からいなかったことにされる。
これが今回の後味の悪さだと思う。
怪異が襲ってくるから怖いのではない。
世界のほうが、消えた人をすぐに受け入れてしまうから怖い。
誰かがいなくなっても、朝は来る。
食事は並ぶ。
団地は解体される。
施設ではテレビが流れる。
その無関心さが怖い。
既視感があるのに、妙に後味が悪い理由
今回の3本には、どこかで見たことがあるような怖さもあった。
『遺体は一体……』は、記憶や現実が信用できなくなるミステリーのように見える。
『実家じまい』は、閉じた共同体に取り込まれるフォークホラーのように見える。
『おじさんになりたい』は、身体を借りる、あるいは中身が入れ替わるボディホラーのように見える。
だから、どこか既視感がある。
ただ、その既視感は単なる「似ている」ではない。
『世にも奇妙な物語』は、よくあるジャンルの型を使いながら、最後に少しだけ家庭の方向へずらしてくる。
刑事ミステリーだと思ったら、記憶の危うさが残る。
団地ホラーだと思ったら、母娘の呪縛が残る。
入れ替わりホラーだと思ったら、子どもが家族の中で消える怖さが残る。
だから見終わったあと、少し気持ちが悪い。
どこかで見たことがある話なのに、なぜか自分の家の玄関先までついてくる。
今回の怖さは、そういう種類のものだった。
この怖さが好きなら、こちらも刺さるかも
今回の『世にも奇妙な物語’26夏の特別編』に近い怖さを探すなら、作品名で決め打ちするより、まずは「どの怖さが好きだったか」で選ぶほうがよさそうだ。
『遺体は一体……』が好きなら
記憶や現実が信用できなくなる話が好きなら、映画『シャッター アイランド』は相性がよさそうだ。
精神科病院を舞台に、主人公が不可解な謎に翻弄され、現実感を失っていく作品である。
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『実家じまい』が好きなら
閉じた共同体、儀式、信仰めいた空気が怖かった人には、映画『ミッドサマー』が近い。
スウェーデン奥地の村で行われる祝祭を舞台にした、明るいのに逃げ場のないフォークホラーである。
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また、家族という場所の不気味さで選ぶなら、筒井康隆『家族八景』もよい。
平凡な家庭の裏側にある心理をえぐる短編集で、「家の中が一番怖い」感覚に近い。
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『おじさんになりたい』が好きなら
身体の違和感や、家族の中で存在がずれていく怖さが気になった人には、乙一『ZOO』のような奇妙な短編集も合いそうだ。
ジャンル分けしにくい短編集で、日常の少し横にある不穏さを味わえる。
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まとめ|怖かったのは怪異ではなく、見落とされることだった
『世にも奇妙な物語’26夏の特別編』は、分かりやすいオチだけでなく、細部に残る違和感が怖い回だった。
『遺体は一体……』の犬。
『実家じまい』の押し入れ。
『おじさんになりたい』の3つの皿。
それぞれの違和感は小さい。
しかし、その小ささこそが怖い。
大きな怪異なら、誰かが気づく。
事件なら、誰かが騒ぐ。
悲劇なら、誰かが泣く。
けれど今回の3つの違和感は、ほとんど誰にも気づかれないまま通り過ぎていく。
犬はいなかったのかもしれない。
沙耶はしまわれたのかもしれない。
小春の席は、最初からなかったことになったのかもしれない。
怖かったのは、消えることそのものではない。
消えたあとも、世界が何事もなかったように続いてしまうことだった。
