【W県警の悲劇】第7話「禁忌の女」のゲストは床嶋佳子さんでした。敬虔なカトリック神父である父を殺害したと、現役刑事である純江の自首に円卓は早速菜穂子に調査を命じます。本当に裁かれるべき“罪”とは何か?
ドラマ【W県警の悲劇】7話のあらすじ
現職の女刑事・滝沢純江(床嶋佳子)がカトリックの神父である自分の父親を殺したとのことで自首をした。“円卓の会議”から大スキャンダルになる前に監察官・松永菜穂子に調査にあたるよう指令が下る。
公式HPより
ドラマ【W県警の悲劇】7話のネタバレ
佐山徳治殺害犯
自殺のため無し
動機
娘の純江を心から愛していた佐山だったが、脳梗塞を患った後遺症で寝たきりになってしまう。さらに認知症の症状も出始め、時々正気に戻った時に自分が娘に迷惑をかけていることを後悔する。
これ以上迷惑をかけたくないと思った佐山は、手の届く範囲にあった延長コードをベッドのパイプに結び、首を通してベッドから転げ落ちることで首を吊って自殺した。
真実
司法解剖をした結果、死亡推定時刻から純江の犯行でないことがわかる。他の人物のアリバイもあるため、純江が誰をかばっているのか菜穂子はわからなかった。
拘留されている純江に面会に来た夫は、うつ病を患い仕事ができなくなっていた。自分が役立たずな人間だ、消えてしまいたいと自責するその姿を見て菜穂子は閃く。
佐山はみずから命を絶ったが、カトリックの神父という立場上、“自殺”は大罪となる。純江はその事実をかばっているのではないかと。
菜穂子は純江を呼び出し自分の立てた仮説を話す。尊敬する父親に汚名を着せたくなかったからでは?と問うと、純江は早く楽になりたいと願った自分も罪深いという。だから、罰を受けるべきなのだと。菜穂子は罰はもう受けていると純江にいい、そうして後悔していることが罰だという。
そして今生きている人をちゃんと見てあげて欲しい、夫のそばにはあなたが必要なのでは?と説得する。その言葉に純江は救われ佐山は自殺となり釈放される。
処分
- 純江:おそらく依願退職になる
ドラマ【W県警の悲劇】7話の感想
キリスト教のそれもカトリックの教えを知らないと、何が問題なの?と思うような話かもしれません。どんでん返し部分としては、教えを知っている人だとわりと早く分かると思います。
原作者の葉真中さんはクリスチャンなのか?もし、クリスチャンでないなら“鑑”がテーマなドラマなので、尊敬の対象になるような題材として神父を選択したということなのでしょう。
“罪”とは法を破るばかりが罪でなく、法では裁かれないことでも“罪”となるということを考えさせられる話です。宗教の教えを破るということに限らず、裏切りやウソ、出世のために利用など、そういう意味では菜穂子も罪深い人物です。
今回は主に事件の時系列と登場人物の詳細、ドラマ内で出てきた聖書の話などに触れます。
事件の登場人物
純江は父親が寝たきりというところまではよかったのですが、認知症になり始めておかしくなっていったのが耐えられなくなります。そこで、介護疲れで父親を殺したというのが、今回の事件のあらましです。
- 滝沢純江(床嶋佳子)
- 日尾署刑事部刑事
- 退職後に復職
- 夫がうつ病になってしまったので復職した
- 事故で両親を早くに亡くしている
- その後叔父の佐山の養女になる
- 養父のことを尊敬している
- 夫の渉と娘の由紀の3人で司教館で暮らしている
- 菜穂子の憧れの人物
- 佐山徳治(団時朗)
- カトリック日尾教会の神父
- 娘の純江に愛情を注いでいた
- 1年前に脳梗塞で倒れ、以来寝たきりに
- 認知症の症状が出ていて時々正気を失う
- 畠山(橋本真一)
- 若い助祭
- 神父になるべく修行中の身
- 佐山のことを尊敬している
- 吉村(山田明郷)
- 終身助祭
- 神父になれない代わりに妻帯を許可されている
- 純江が来る以前から教会にいた
今回の事件概要
父を殺害したと現役刑事の純江が自首して来て発覚した事件の詳細と、それぞれの証言とアリバイなどを照らし合わせていきます。
- 18時吉村が佐山が眠っているのを確認。後に吉村は妻とレストランへ
- 19時頃信徒の人が教会を訪れるが聖堂には誰もいなかった
- 19時57分最寄の駅の防犯カメラで純江の姿確認
- 20時頃純江帰宅、畠山と挨拶を交わす。畠山帰宅する
- 20時20分頃純江が佐山を殺害
- 20時25分純江が110番通報
しかし、司法解剖したところ矛盾が出てきます。死亡推定時刻は18時から20時の間ということです。純江が20時20分に殺害したというのが、成立しなくなります。
そこで次に疑われるのが19時頃、教会にいるはずなのにいなかった畠山です。取調べで刑事に詰問されますが、自分はやっていないと主張するだけで、その時間何をしていたのかについては言いません。
そこで、菜穂子が自分が尋問して落とします。畠山はその時間、恋人の所へ行っていたのです。現在助祭である畠山ですが、神父を目指しています。神父は妻を持つことが許されません。さらに、恋人が“男性”となると、カトリックではなおさら禁忌となります。なので、アリバイの証明をするためになかなか言えなかったのです。
畠山のアリバイは恋人のマンションの防犯カメラを確認して立証されます。よって、畠山が佐山を殺すことは不可能となります。
菜穂子は誰かをかばっているのではないか?と考えますが、夫と娘はこの日家にいませんでした。なんのために、純江は罪をかぶろうとしているのか、その理由を見つけることで今回のオチに繋がります。
聖書の話
菜穂子が以前、純江の家に行き神父と会った日のことを思い出します。その時、神父が菜穂子にした話は、旧約聖書に出てくる“ヨブ記”の話でした。簡単に言うとこんな感じの話です。
- ヨブという敬虔な神の信徒は、多くの人々に尊敬されていた
- 神と悪魔がヨブの信仰心を試す賭けをする
- 純粋な信仰心か利益を期待した偽物の信仰心なのかを試す
- 神が賭けにのり悪魔がヨブに苦痛を与える
- 家族を奪い、財産を没収し、皮膚病にする
- ヨブは苦しみに耐え、神を称え続けた
- 耐えたヨブを救い神は祝福を与えた
神と悪魔が賭けをするというのもなんだか嫌な話です。菜穂子はなぜ信じている人に、神は苦しみを与えるのか?と突っ込んでました。神は悪魔に「ヨブ凄いだろ?」とドヤりたかったのか、とにかく苦しみを与えます。
この皮膚病というのがこの当時、社会的に“死”を意味することだったそうです。さすがにこれには妻も神を呪い、死んだほうがマシと言い出します。それでもヨブはこう言います。
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」
(2:10)『新共同訳聖書』より引用
今まで幸せももらっていたのだから、不幸ももらう。ヨブ凄すぎます。といいますか、殆どの人は耐えられないと思います。ヨブだから耐えられたわけで、悪魔が人選を誤ったと思います。
ヨブ以外のもっとチャラい信徒を選べば、直ぐでも化けの皮が剥がれたでしょう。ですが、その場合神は賭けにのらないでしょう。「アイツじゃ嫌だ。ヨブにしない?」と交渉するでしょう。
ドラマでは簡単にまとめて終わりますが、この話はもっと長いです。ヨブと3人の友人との議論というものがあります。簡単にいうとこうです。
- ヨブがこんな目にあうのは、実は何か悪いことしていたからだ
- 洗いざらい罪を認めたらどうだ
- 身に覚えがないヨブは反発
- 神が登場して逆説的な質問をする
友人たちは因果応報を持ち出して、何も悪いことしていないにこんな目にあうはずがないと断罪します。本当に友人なのか?と疑いたくなるような友人たちです。
ヨブはここでも負けずに「やっていないものはやっていない」と主張します。すると今度は神みずから登場して、また意地悪な質問をします。
まず神は“人間は神が創造した最高傑作だけど、神の計画の主人公ではない。神の活動の目的は人間の活動を跳躍したところにある”というようなことを言います。その上で、
お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか
(40:8)『新共同訳聖書』より引用
と、意地悪な質問をします。ヨブが神に勝つには神の性格を変え、創造を否定するしかありません。しかし、神の性格は人間が決めるものではありません。災いすら神の創造活動の一つである、世の中には思い通りにならない災いがあるが、世の中が災いではない。すべては神の支配下にあると結論づけます。
神の正義も災いも、無償の愛に起因して、無償の愛の中に成立している。よって、ヨブ自身が妻に語った「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」に帰結します。
その後、神は3人の友人を怒り、ヨブのために祈らないと罪は清められないと言います。ヨブは以前にも増して財産を与えられ、たくさんの子供たちも授けられ、最終的には140歳まで生きるという祝福を与えられます。
自分のように宗教に馴染みがない人だと“神”という存在が、なんか偉そうで嫌だなと思います。ですが、言っていることは現代にも通じる部分があります。「いいこともあったのだから、不幸も受け入れよう」という考え方は、災いを乗り切る心の支えにはなるなあと思いました。
ドラマ【W県警の悲劇】7話のその他気になったこと
- 殺人事件を内々で解決しようとする円卓
- 認知症の父に“悪魔”扱いされる純江
- 結婚退職する純江へ「裏切り者」と毒吐く菜穂子
- 昇進してニヤニヤが止まらない菜穂子
ドラマ【W県警の悲劇】7話のまとめ
殆どの人は“罪”を犯していると、この話を見ると思います。潔癖で優しい人である人なら、それこそ死にたくなるかもしれません。罪を償い過ちを再び起こさないようにする、その気持ちこそが償いだと。今あなたを求めている人のために、寄り添うことの大切さを考えさせられます。
宗教臭くてなんだかな、と言ってしまえばそうです。ですが、普遍的な人間の悩みを解決してくれる話もあります。それは、長年蓄積されてきた話を集めているからだと思います。現代においてある意味神父はカウンセラーのようなもので、聖書は自己啓発本のようにも感じました。
今回の事件で菜穂子は待望の“警視正”へ昇進します。そのため、円卓会議の正式メンバーになります。その活躍の話を沢山やって欲しかったのですが、残念ながら次回で最終回となります。どうやってオチがつくのか、今から楽しみにしています。