後編のネタバレ
【こんや放送】
— NHKスペシャル(日)夜9時 (@nhk_n_sp) August 16, 2025
シミュレーション ~昭和16年夏の敗戦~
後編 17(日)夜9時~[総合]
1941年、日米戦開戦後の戦局を占うために
緊急招集された若きエリートたち。
日本必敗の“現実”を伝えようとする彼らが目にした結末は。
2夜連続放送の後編。
出演 #池松壮亮 #仲野太賀 #岩田剛典 ほか#戦後80年 pic.twitter.com/togvEkvsVn
机上で一足先に開戦を許した洋一だったが、前言撤回しこの戦争はできないと告げる。しかし板倉は政府は軍に口出しはできない、このまま続けろと命じる。そこで研究所発足の立案者の一人でもある瀬古が、一芝居打つ事で所員たちの自由を守った。
やがて弟に赤紙が来て出征し、両親の死の本当の原因も分からなかった。しかしおおよそ洋一の思っている通りだと、西村に言われ洋一は呆れる。最初は模擬内閣はごっこ遊びをしている気分だったが、ごっこ遊びをしているのは、実際に国を動かしている人たちだと。
運命の報告会で洋一は「日本はアメリカに勝てない」と断言した。そして各専門部署の者たちもみな、臆することなく東條大臣の前で必ず負けると研究結果を発表する。だが要人たちは聞く耳持たず、報告会を後にした。
研究所の発足をした近衛文麿は辞職し、代わりに総理大臣になったのは東條英機だった。開戦必至かと思っていたが、天皇陛下が和平にて解決するよう東條に命じたことで、東條はなんとか和平の道を探る。
だが、新聞は販売のために世間を煽り、一度動き出した開戦の空気には抗えず、開戦への道を進む。その結果、多くの犠牲者を出し、敗戦した。
戦争は研究所の予測どおりに進み、ほぼすべての見立てが的中した。唯一予測できなかった事態は、2発の原子爆弾投下だった。洋一は自責の念に駆られながら、瓦礫と化した街に立ち尽くした。
前言撤回
1941年(昭和16年)。宇治田洋一(池松壮亮)は小百合(二階堂ふみ)に封筒を手渡す。どうしても目をつぶれない事があると言い残して出ていく。小百合は思い出す。前にも同じ言葉を残して出かけ、憲兵に痛めつけられたことがあったと。洋一が封筒にはいくらかの金を包んだと告げると小百合は、「もう大人だから大丈夫、兄さんは自分の信念を貫いて」と言って送り出す。
机上開戦から2年。国は多大な損害を被り、戦争継続の可否を樺島茂雄(仲野太賀)が問う。洋一は立ち上がり、「前言を撤回する。この戦争はできない」と。皆が積み上げた研究を、つなぎ合わせて計算すれば答えは明白だと示し、戦争は長期化して3年もたずに確実に破綻すると断ずる。
労働力は兵役に取られ、物資は枯渇し、激しいインフレが起こり、経済は崩壊する。自分は貧しい農村の惨状を見た。飢えや身売りが絶えず、食うに困った人間が最後に何をするかも見てきた。戦争をすれば日本中が同じ地獄に陥る。国家的な食糧難で生活が崩壊する――その光景が頭から離れない。
「権力を持つ者には責任がある。もし本当に自分が総理大臣なら、やるべきことはひとつ。この戦争をさせない」ゆえに南方進出は不可、退くしかない。もはや国家の体をなしていないと、最後のページを示す。
瀬古明(佐藤隆太)が軍人としての反論を促すが、田中耕(堀家一希)は前線補給が成り立たないと試算しており、これが解決しない限り自分も戦争に反対すると言い切る。高城源一(中村蒼)は「実戦は数字で決めるものではない」と抗すが、前島俊樹(前野朋哉)は「まず現実を見ろ。現実を無視するのは非合理だ」と押し返す。
高城は田中に資料を突きつけられ、他の方策を考えるとして開戦断念に傾く。甲斐田、住吉、三井、松浦も考えを改める。そして木村は戦争回避の方途を練ろうと提案する。
だが、ここで板倉大道(國村隼)が口を挟む。政府は軍に口出しできない、このまま戦争を続けろ、という。峯岸草一(三浦貴大)が無謀だと返すと、「なら東條大臣の前で言え」と一蹴。瀬古がなお叱咤するが、村井和正(岩田剛典)は冷静に、双方を合理的に算定しなければおかしい、感情論だけで戦はできないと真向から否定する。瀬古は激昂し、部屋を後にした。
自由を守れ
洋一は瀬古を追い、「この研究所の考案者でありながら、なぜだ。研究で今の国策が危険とわかったはずだ」と詰め寄る。そこへ村井もやってきて、「政府に提案はするが、国家方針に逆らう気はない。若造の戯言として一笑に付せばいい」と続ける。瀬古は「勝手にしろ、ただし俺は助けん」と言い残して去る。洋一と村井は、すなわち“やってよい”ということだと受け取り、意気投合した。
戻った2人は皆の意見を聞く。峯岸は「上層部も迷っている。だから研究を始めたのだろう」と述べ、前島は「正論が通るかはわからないが、ぶつけてみよう」と応じる。「俺たちにしかできない。自由な議論を重ねたからこそだ」田中は同世代の結束を強めようと高城にも参加を呼びかけ、階級を越えて混ざることになった。8月5日の報告会まで、あと23日。
陸軍省では、ドイツの快進撃が報じられ、モスクワ陥落が近い。イギリスを空襲し、ソ連へ圧倒的強襲、欧州全土をドイツが制圧するとの空気が漂う。だが研究所では、ドイツは優勢でもイギリスとソ連が倒れるのは妄想に近いと論じる。
ドイツのピークは今年度いっぱい、来年度以降は経済力と工業力が急減し、油は底をつく。我が国と同様に資源を欠くドイツは長期戦に耐えられず、必ず敗れると田中は断言する。ゆえにドイツ頼みは日本をも危うくし、ドイツがイギリスに勝てる根拠は何ひとつないと高城。
陸軍内にも同趣旨の研究があるが、公にされないのは「ヒトラーが何とかしてくれる」という希望的観測が頭を支配している者がいるからだ、と自己反省も交えて指摘する。現実を都合よく解釈し、眼前の重要問題から目を背けていたのは自分も同じだった、と。
所長の意向を瀬古に質すと、「若造の戯言だ」と切り捨てられ、板倉は「お前の責任でやれ」とだけ残して退室。瀬古は一転して「このまま続けてよし」と先を促した。
おままごと内閣
1941年(昭和16年)8月6日、英二(杉田雷麟)が出征した。小百合はその晩、汽車に乗る前に英二から預かったと遺書を渡す。「英二も大陸へ行かされるのでしょうか。うちの人みたいにはならないですよね」と小百合は不安を吐き、遺書には「初子だけは守ってくれ」と記されていた。洋一は研究所に向かい考え込む。英二が戦死し、初子も命を落とす未来が脳裏に焼きついて離れない。
ほどなく西村良穂(江口洋介)から両親の件の報告が入る。問題が根深く、真相は掴めないという。ただし概ね洋一の想像どおりだとも述べた。当時の満洲で実権を握っていたのは東條英機(佐藤浩市)で、不都合な抗日分子を次々に排除し、軍に楯突く日本人さえ狙われた。両親の死に東條が関与したかは不明だった。
洋一は、西村自身も戦争が無謀だと知っているはずだと訴えるが、西村は「そんな呑気な段階は終わった。今度の報告会で真実を口にするのは控えたほうがいい」と制する。洋一は言い返す。「研究を始めた当初は子どものごっこ遊びをしている気分だった。だがようやくわかった。本当にごっこ遊びをしているのは、実際に国を動かしているあなたがたのほうだ」と。報告会まで、あと22日。
運命の報告会
研究は、農村の崩壊、必需物資の配給、空襲時の措置、撃墜米軍機搭乗員の捕虜扱いまで多岐に及んだ。8月28日、報告会。当惑する樺島に対し、洋一は「頭がどうにかなりそうなほど考え抜いた。だが最後は必ず誰かが、正しい判断を下すはずだ」とだけ告げ、報告に臨む。
洋一の挨拶に続き結論を提示する。日本がアメリカと戦争すれば必敗。総力戦で勝つ道はない。続いて所員が起立し、各自の専門報告に移る。峯岸は日米の国力比を示し、資源の欠乏と工業力の歴然たる差から自らも「日本はアメリカに勝てない」と断じる。
村井は作戦見通しを述べる。開戦期限は12月初旬、奇襲で開戦し、半年~1年は有利に進め南方油田も確保できる。しかし前島が引き取り、最大の問題は輸送であり、船舶が足りず海上輸送は3年以内に必ず崩壊するとする。
高城らは同盟国ドイツの勝利に期待しても無意味とし、工業力、インフレ、油の制約から日本はやがて劣勢に転じ敗北に至ると論じる。田中はソ連参戦の不可避性を指摘し、南方で手一杯のところへ北からの圧力が加わると分析する。高城は「帝国陸海軍をもってしても打つ手なし」と結論する。
内務省の木村は、制海権・制空権喪失後の本土空襲の苛烈さを予測し、木造住宅が密集する本土は耐えられないと甲斐田が補足する。本土攻撃時の治安維持や食料配給の検討結果を踏まえ、日本政府はそもそもここまで事態を進めない国策を採るべきだと提言が続く。
最後に洋一が私見を述べる。日本人の1人としてこの結果は無念だが、戦うべきか否か以前に、そもそも不可能である。目の前の数字こそ現実だ。ここで瀬古が立ち上がり、「彼らの研究結果に全面的に同意する」と表明した。
東條は「皆、ご苦労」と前置きしつつ、「机上の勉強と実戦は違う」と日露戦争を引き合いに出して受け入れを拒む。洋一は「現実を見てくれ」となお訴えるが、要人らは聞く耳を持たず退席した。板倉は瀬古に「お前も最前線に飛ばされるぞ」と耳打ちし、上には事前に『若さゆえの浅慮』として伝えておいた、君らを守るためだと言い残して去った。
軍靴の足音
報告会から9日後、御前会議が開かれる。戦争準備を進める方針が語られ、外交による戦禍回避にも一応触れられた。
峯岸は、このまま手をこまねくのは時間の浪費だと言い、戦後を見据えた研究に取りかかろうと呼びかける。樺島が「誰が一番悪いのか。煮えきらない近衛総理か、東條大臣か」と高城に水を向けると、高城は東條を「真面目で頭の切れる官僚」であり、米国との戦争のまずさを誰より理解しているはずだと評価する。樺島が「ならばなぜ」と問う。
木戸幸一(奥田瑛二)は、昭和天皇(松田龍平)がこのまま戦争に向かうことを憂慮していると近衛文麿(北村有起哉)に伝える。近衛は統帥部の専権事項であり政府は軍に手出しできない、自身も戦争に自信がないと漏らす。報告会から49日後、近衛内閣は総辞職。西村は「ここまでやっておきながら、無責任なお公家が匙を投げた」と評し、研究所の面々も次の首相が誰になるか読めないと語る。
西村は東條と会談し、「今の日本を抑え込めるのは皇族だけだ。次の首相は皇族しかない」との東條の見解を聞く。だが木戸は強く反対する。皇族内閣で開戦となれば、皇室全体が国民の恨みを買うからだ。代案として、強い忠誠心を持つ東條を次の総理に推すべきだ、戦争回避に持ち込めるのは東條だけではないか、という議論が浮上する。
やがて東條が首相に就くと、陸軍は開戦可能だと喜色を示す。一方で東條は「陛下は和平を望んでいる」と直接伝えられたとし、国策を白紙撤回して再検討する意向を示す。西村は、今それを行えば国が割れ、陸軍内でクーデターが起きかねないと危惧するが、東條はなお聖慮に従う考えを崩さない。
西村は「陛下が直接言えば国民も従う」と進言するが、東條は「畏れ多い」と退ける。西村は部屋に戻り、草案作成に没頭する。武藤章(中野英雄)は、東條が国家の責任のすべてを背負わされることになると憂慮した。
臆病者か忠実な家臣か
報告会から51日後。西村は草案をまとめ、和平に向けて全力を尽くすと宣言する。戦うなら彼らの試算どおり12月初旬までにやらねばならず、残りはあと1か月しかない。陸軍は支那から引き上げられない以上、海軍が自信がないのなら率直に言ってもらうべきだとし、自ら説得に向かう構えを見せた。
東條首相就任から33日後の11月20日。協議ばかりだとして東條の人気は落ち、臆病者と罵られる。新聞も販売のために開戦を煽る。高城は、一度動き出した「空気」に抗うのは至難だと評する。テロの標的にならぬよう、東條は帰宅経路を日々変えていた。
高城の調べでは、陸軍はすでに南方作戦を想定した夏用軍服を作り終え、乾燥食料の製造も前年から着々と進め、今や完了している。峯岸は、予算はきっちり使い切られ、一度金が動き出せば人間の手に負えなくなると述べ、樺島は「それが今の空気だ。もう戦争をやることになっている」と受け止める。
近頃の陸軍の若者は、東條を腰抜け・裏切り者・無責任と罵倒する。それでも東條は、天皇のご意向に従うのが臣下としての責務だと信じる。
どこかで軍部と結託し、ぼろ儲けしている連中は笑っているのだろうという皮肉も飛ぶ。村井は「軍人である俺たちは、そうと決まれば戦うだけだ」と言い、高城も「ああ、そうだな」と応じる。洋一は軍服を作ったから戦争をするのか。この国の責任はどこにあるのか。愚かな選択の責任を誰が取るのか。「これから悪夢が現実になり、人が死ぬ」と静かに告げた。
抗えない空気
西村は東條に、最後まで諦めず戦争回避の道を探るべきだと進言する。これまで日本が得てきた権益を、米国の言いなりで投げ捨てられるのか、多大な犠牲、数十万の戦死者とその数倍の遺族、一億国民の苦しみが一瞬で水泡に帰すと訴える。
時間稼ぎのため内閣総辞職で、12月初旬をやり過ごす策も示すが、東條は西村の胸ぐらを掴み一喝する。自分は総理として国を守る責任がある、戦わずに屈服すれば日本は永劫に隷属国家となり、米国に食い尽くされ大切な精神を失う、天皇がそれを望むはずがないと。
西村が「それでも陛下は平和を望まれているのでは。あの研究をどう見ているのか」と問うと、東條は「数字など当てにせぬ。国家を救うのはそれではない。戦うか戦わないか、希望があるのはどちらかは明白だ。陛下も理解される」と突っぱねる。東條はやがて、帝国の自存自衛のため日米開戦はやむなしと奏上する。12月1日、開戦まであと7日。
外で洋一に会った西村は「あなたは知らないことが多すぎる。日本の考えや動きは米国に筒抜けの可能性が高い。暗号が解読されている」と耳打ちする。日本は米国の手のひらで転がされ、無理な要求を突きつけられて遊ばれている、なめられていると告げるが、洋一は無言のまま立ち去った。
後編の結末
瓦礫の山と化した街を洋一が歩く。1941年12月8日に日本はアメリカとの戦争を始め、3年6か月後の8月15日に敗戦。戦争は研究所の予測どおりに進み、ほぼすべての見立てが的中した。予測できなかった唯一の事態は、2発の原子爆弾投下だった。
原爆による死没者は広島約14万人、長崎7万3884人。本土空襲による死傷者数45万9564人。アジア太平洋地域の死者数は2000万人以上。日本の民間戦没者約80万人、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の戦没者約40万。日本の戦後孤児12万3511人。日本の戦没者総数約310万人。第二次世界大戦における戦没者総数5000万人以上だった。
英二の亡霊に「初子、守れなかったな」と言われ、洋一は「俺のせいだ。俺のせいでこうなった」と呟く。これまでの出来事を反芻しながら、瓦礫と化した街の中で立ち尽くした。
【シミュレーション】まとめと感想
総力戦研究所では敗戦を予測していたが、内閣は当時の空気に抗えず、戦争した結果敗戦したという話でした。
戦前、こういった研究所が存在していたことは、一般的には知られていませんでした。必ず負けると分かっているのに止めれない、そして案の定国は崩壊しました。戦後、無力感に長いこと苛まされた研究員もいたのではないかと思われます。それと同時に今度は自分が上に立って、こういったことが起こらないようにしようと、奮起した若きエリートもいたかもしれません。
事実、ドキュメンタリー部分で語られますが、模擬内閣で日銀総裁を担当した人が、その後本当に日銀総裁になりました。研究所時代の経験が活かされたのか、とても興味深いものがあります。
今でも多くの場で“空気”に流されたり、一度費やしてしまった金と時間の関係で中止にできない、いわゆる“サンクコスト効果”はあらゆる場所で見られます。
研究員たちのように、空気に流されずに反対・中止の姿勢を貫けるのか?非常に難しいとは思いますが、もしあの時反対しなかったら、戦後自分に嘘をついて生きるようだと悔やみそうです。都合のいいことや空気に流されず、地に足をつけて現実をちゃんと見る目を持ちたい、と自省したくなるドラマでした。