【広重ぶるう】のキャストとネタバレ|阿部サダヲ主演の時代劇

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NHKBS4Kで2024年3月23日に放送された、阿部サダヲさん主演の時代劇【広重ぶるう】のキャストとネタバレを掲載しています。

浮世絵絵師として知られる歌川広重は、火消しと兼業の絵師だった。絵が売れずにいた広重を唯一信じる妻は、質屋に通いながら金銭を何とか工面して支えていた。ある日、舶来の絵の具“ベロ藍”で描かれた絵を見た広重は、この絵の具で空を描きたいと願うが……。

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【広重ぶるう】のキャストとスタッフ

  • 歌川広重(安藤重右衛門)…阿部サダヲ
    定火消。絵師
  • 加代…優香
    広重の妻
  • 岡島武左衛門…勝村政信
    定火消・与力。狩野派の絵を描く絵師でもある。広重の幼馴染
  • 安藤十右衛門…笹野高史
    広重の祖父
  • 岩戸屋喜三郎…渡辺いっけい
    栄林堂・主人
  • しづ…黒沢あすか
    十右衛門の後妻
  • お栄…中島ひろ子
    北斎の娘
  • 寛治…前野朋哉
    摺政の摺師
  • 川口屋…小松和重
    武左衛門に紹介された版元
  • 質屋・店主…野添義弘
    孫八の兄
  • 山田屋…みのすけ
    版元
  • お安…山本裕子
    広重の家の住み込み女中
  • 安藤仲次郎…若林時英
    十右衛門としづの間の子、広重の叔父御
  • 昌吉…少年期:川原瑛都 青年期:二宮慶
    広重の弟子
  • 歌川国貞…吹越満
    絵師
  • 竹内孫八…高嶋政伸
    兄の質屋を手伝う。後に保永堂という版元を起こす
  • 葛飾北斎…長塚京三
    絵師
  • 原作:梶よう子『広重ぶるう』
  • 脚本:吉澤智子
  • 音楽:遠藤浩二
  • 語り:檀ふみ
  • 演出:井上昌典
  • 制作統括:佐野元彦、松田裕佑、遠藤理史
  • 公式サイト

【広重ぶるう】の放送予定

次回の放送は2024年4月27日(土)よる8:40~10:30にNHK BSで放送予定です。

いずれ放送されるかもしれませんが、NHK地上波での放送はまだ予定されていません。また、NHK+での見逃し配信も現在なく、NHKオンデマンドにも配信されていません。

(2024年3月26日時点の情報)

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【広重ぶるう】のあらすじ

文政13年(1830年)。定火消という幕府が設置した火消役を家業とする、下級武士の安藤重右衛こと歌川広重(阿部サダヲ)は、火事が起こると町火消と一緒になって消火活動にあたっていた。

禄も少ないため副業と称して絵師をする広重だが、時の人気絵師である葛飾北斎(長塚京三)や、同じ一門の大看板である歌川国貞(吹越満)の足元にも及ばない売れ行きだった。

ある日、版元の岩戸屋喜三郎(渡辺いっけい)から、妻の加代(優香)の土産として渡されたうちわに描かれた絵を見て驚く。その藍色は今まで見たことのない色だった。それもそのはず、舶来もののベロ藍というベルリンで作られた藍色だった。

この絵の具で空を描きたい。そう願う広重だが、版元は誰も見向きもしなかった。加代はそんな夫を信じ、質屋で金を工面して献身的に支える。

やがて幼馴染の定火消・与力である岡島武左衛門(勝村政信)に紹介された版元で、絵を描くが売り上げが悪く……。

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【広重ぶるう】のネタバレ

火消しと絵師の二刀流

安藤重右衛門こと歌川広重(阿部サダヲ)は、定火消の御家人の家に生まれ、早くに両親を亡くして家督を継ぐ。妻の加代(優香)との間に子はなく、祖父の安藤十右衛門(笹野高史)が後妻のしづ(黒沢あすか)との間に設けた仲次郎(若林時英)に家督を譲ると早々に告げていた。

家での立場も弱く、祖父や祖母に嫌味を言われても何も言い返せない広重だが、妻の加代はそんな夫を献身的に支える。

禄も少なく武家とはいえ、質素な生活をする安藤家。内職と称して広重は絵師の仕事もしていた。やってきた版元の栄林堂の主人・岩戸屋喜三郎(渡辺いっけい)は、広重の絵を見て売れっ子の北斎の真似や、歌川一門の大看板である国貞の真似をしても仕方ないという。

何が描きたいのかと問われても、今の広重には描きたいものがなかった。呆れる喜三郎から加代への土産だと、差し出されたうちわを見た広重はそこに描かれた絵を見て驚く。

藍の色が今までに見た事のない色だった。それは舶来ものの“ベロ藍”というもので、ベルリンで作られた藍色だった。この藍色で空が描きたい。名所絵が描きたいという広重だが、ちょうど北斎がこのベロ藍で富士を三十超える揃いものを描いていると喜三郎は断った。

感化された広重はその晩、寝る間も惜しんで筆を走らせる。加代が気付いて部屋に行くと広重は、新しい筆が欲しいと話す。分かったと答える加代だが、彼女の頭にかんざしが無い事に気付いた広重がその事を尋ねると、かんざしは好きじゃないからと答えた。

描き上げた下絵を持って版元を訪ねる広重だが、ベロ藍で描きたいというと断られてしまう。その頃加代は質屋へ行っていた。

祖母の形見の反物を質に入れようとするが難色を示される。そこにやってきた竹内孫八(高嶋政伸)が口ぞえしてくれた事で、何とかお金を手に入れられた。

夫が何の仕事をしているのかと問われた加代は、絵師をしていると答える。どんな絵師なのかときかれ、優しすぎる絵師で、正直な人だと笑って答えた

加代が質屋から出たところを、広重と同じ定火消の与力・岡島武左衛門(勝村政信)が偶然目にしていた。

北斎との対話

広重は絵草紙屋に行き、自分の絵が売られていないか探す。すると店主がこの絵はどうかと、北斎の絵を見せてきた。絵を見た広重は何か違和感を覚え、直接北斎に話をしに彼がいる荒れた古寺へ向かう。

荒れている部屋で何人もの弟子が筆を走らせていた。やがて北斎の娘のお栄(中島ひろ子)がやってきて、父親に取り次いでくれる。葛飾北斎(長塚京三)を目前にした広重は緊張しながら、この絵について話したいと富士の絵を取り出す。

この風景から見える富士は実際こうではないと言う広重に対し北斎は、面白いと興味を抱く。そして「俺は、俺が描きてえ富士を描く。俺が見てえ富士だ。俺のために描いてんだよ」と話す。

名所なんて端から描く気はないという北斎、反論しようとする広重だが、半鐘の音が聞こえて外に出ると遠くで火の手が上がっていた。

北斎はその場に座って筆を取り、燃える炎を見ていい赤だとスケッチを始める。沢山の人が大変な思いをしている火だ、こんなのはいい色じゃないと、広重は火を消しに向かった。

ついに出版

同じ定火消かつ幼馴染でもある武左衛門もまた絵師だった。彼は狩野派に師事し肉筆画を描いている。何とか版元を紹介してくれないかと広重が頼むと、川口屋(小松和重)という版元を紹介するという。

早速加代に広重は「俺はあの青で必ず必ずお前に楽な暮らしをさしてやる。それまでもう少し辛抱してくれ」と約束した。

川口屋は北斎の名所絵が売れているので、その流行に乗るのも面白いかもしれないと言い、広重は絵を描ける喜びに夜通し夢中で筆を取った

端午の節句の日、仲次郎のために用意された食事は残念ながら侘しいものだった。イワシの味噌漬を膝の上に落としてしまった仲次郎、汚れを取ろうとふきんで拭くが取れず、逆に広がっていってしまう。広重はその様子を見て「それだ!」とひらめいて走り出す。

摺り工房に行き摺師の寛治(前野朋哉)に、空をぼかすために拭きぼかせばできるはずだと指示する。何度も何度もやり直して、ようやく自分の思っていた通りの空のグラデーションができた

『東都名所』シリーズが出版される。期待に胸躍らせて絵草子屋に来た広重だが、全く売れていなかった

「あの藍の良さがわからない奴らがぼんくらなんだよ!」と叫んで家を飛び出す広重、加代が後を追ってやってくる。何を描いたらいいのか分からないと嘆く広重のそばに、加代はただただ寄り添った。

弟子を取る

川口屋は版を重ねることをやめ、今刷った分だけは何とか売り切りたいといい、書画会を開くことを勧める。書画会とは料理屋に文人や他の絵師、版元や贔屓筋を招いて絵を描いて売る即売会だった。ただし開くには五両必要だと言われる。

悩む広重が外に出ると、昌吉(川原瑛都)という子供がやってきて弟子にして欲しいという。違う歌川ではないかと追い返そうとすると、広重の絵を見せてこの絵が好きだと昌吉は語った。

自宅に戻った広重は加代に書画会を開くから、五両用立てて欲しいと頼む。高額に驚いた加代だったが、何とかすると約束する。そして昌吉を紹介し、弟子にすることにしたと言うと、加代はまるで自分たちに子供ができたような気がして喜んだ

広重は昌吉を連れて街中を歩きながら絵について話す。「同じものを見ても人によって見えてるものや、描きたいものが違う。それが絵だ」と教えた。広重は見たままを描くなら絵にする必要もなく、とはいえ、頭の中で考えた嘘を描くのも違うと思うと語った。

書画会が開催

加代が何とか工面してくれたお陰で、書画会が開かれることになった。料亭に集まる人々、やがてやってきた籠から降りてきたのは歌川国貞(吹越満)だった。まさかの人物の登場に広重は驚いた。

広重のお披露目の意味もある会で、国貞が隣の部屋で描いた絵を販売していた。広重の所には誰も来ず、人々は国貞目当てで来ていた

川口屋を紹介した武左衛門は悪かったと広重に謝ると、広重は騙されたから帰ると言って出て行こうとする。しかし、武左衛門が加代が金を工面してくれたのだからと言って宥めた。

会が終って客が帰り国貞と広重は話す。美人画のどんな所が好きなのかと、広重は国貞に尋ねた。すると国貞は別に女を描くのが好きなわけではないが、みなが気に入ってくれるから多くなったと答える。

そして「売れるものを描くのが仕事ですからねぇ。私ら絵師は職人です。好きなものなんて考えてもしょうがない。絵で食べていくというのは、そういうことでございましょう」と国貞は語った。

国貞は弟子を呼び、さっき描いた絵で稼いだものだ、ご祝儀だと思って納めて欲しいと言って金を渡す。断ろうとする広重だが、何かと物入りでしょうと言われてそのまま受け取った。

隠居し絵師に

帰りがけ昌吉が質屋から出てきた加代を見かける。それを知った広重は固まり、昌吉を先に帰した。今まで自分が加代に頼んで工面してもらっていた金はすべて、こうやって作られていたと今初めて広重は知った

自宅に帰ることもできず、ショックで橋の上で広重が佇んでいると雷鳴が響く。雨が降り出しても広重は足を止めたままだった。やがて傘を持ってやってきた加代が来ると「俺は人どころか、てめえの女房すら何も見えてえねえ大バカ者だ。そんなやつに、人が描けるわけがねえ。俺はもう…やめる」とこぼす。

すると加代は「承知しました。武士のお勤めを…ですね」と言い、火消しをやめて絵だけを描いて暮らせばいいと勧める。「描きたい絵が見つかるまで、描いてみてはどうですか?」と加代は言う。しかし広重は自分は北斎にもなれないし、国貞には遠く及ばない。そんな自分が絵師になれば、ますます苦労をかけると躊躇う。

加代が「私は雨が好きでございます。雨の日は、火が出ませぬゆえ。火事場に行くお前様の身を案ずるより、明日の米を案ずるほうがずっといい」と話すと、広重は所構わず加代のことを抱き締めて決意する。

後日、家族を集め家督を全て仲次郎に譲ると宣言した広重。最後の仕事は京都御所へ東海道を通って馬を献上する、八朔の御馬進献の儀だった。

行く先々で見る風景は広重の絵心を刺激し、お役目の合間を縫って描き止めていった。その中には道中で起きた面白おかしい、人々の姿など風景以外の姿も記した。

あの作品が出版

お勤めを終えて江戸に帰ってきた広重を待ち受けていたのは孫八だった。兄の質屋を手伝っていた孫八は、保永堂という版元を絵が好きで始めたばかりだった。

広重の錦絵で世をあっと言わせたいという孫八は、日本橋から京までの東海道五十三の宿場を描いて欲しいと頼む。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』がヒットして以来、万が一売れなくても大きく外す事はないと孫八は踏んでいた。

さらにベロ藍も使わせてくれるという。巡ってきたチャンスに喜ぶ広重は、今からまた京にとんぼ返りしないとと言う。すると孫八は「なるほど、甘いお人だ。ですが、それがいい」と言う。

公用で東海道を行った広重が本当に絵師であるなら、描き留めているはずだと孫八は読んでいた。人は描けずとも名所絵ならきっと描けるだろうとも考えていた。

「つましく暮らすつまらぬお人ゆえ、描ける絵もございましょう。絵を買う者もつましく暮らすつまらぬ民でございますれば」と言いながら手付金を孫八は渡す。

広重は受け取るなり質屋に行き、今まで入れた質草を全て返して欲しいと頼んだ。そしてその全てを加代に返すと、加代は喜び涙を流した。

広重は絵を描くのに分類を始める。朝昼夕晩、さらに天候や四季、それらを五十三の宿場と二つの橋、合わせて五十五枚の絵に当てはめる。弟子の昌吉は墨を擦り、師匠を手伝った。

描き始めてみるものの、どうもしっくりいかず何枚も描き直す。その内に「つまらない!」と言い出して、部屋を飛び出してしまった。針仕事をしている加代を見た広重は「これだ!」とひらめき、名所絵に行った先で見た人々の営みや面白い場面を描き入れた

描いた絵を持って孫八の所に行った広重、絵を見た孫八は自分の思っていた絵とは違うと言うが、「面白い、摺りましょう」と話す。

摺師に空のグラデーションの指示はするが、他の指示はせずに摺師任せな広重を見た孫八は、「己に才がなきゃ、人の才を借りる。人に任せられる。確かに正直だ」と感心する。

そして「火消しは時がない中で、幾人も人を使って火を消す。一人じゃ火は消せないから」と孫八は納得した。定火消だった広重ならではの考えが、結果的に彼の持ち味となった。

売り出された『東海道五十三次』が店に並ぶと飛ぶように売れた。昌吉の報告を聞いた広重は喜んだ。加代はお礼をしに孫八の所へ行く。孫八は人助けで広重に書いてもらったわけではないと言う。

膝栗毛が出てから神仏に祈るという理由をつけて、みんなが旅に出るようになった。旅の絵を出せば必ず売れるという見通しが孫八にはあったからだという。

「あったかい目でものを見るから、広重の錦絵には人の情けが見える。見る人の心も動くんでございましょう」と孫八は評すると同時に、名所絵をここまで流行らせたから、ますます好きなものが描けなくなるかもしれないと考えていた。

加代は孫八にこれから夫に対して本当のことを言う人は少なくなる、どうか末永くお願いしますと頼んだ

本当に描きたいもの

9年後、天保10年(1839年)広重はすっかり人気絵師になっていた。以前は相手にもしなかった版元がやってきて、広重に絵を描いて欲しいと頼みにくる。ただ、どの版元も名所絵を描いて欲しいという。弟子の昌吉(二宮慶)も大きくなっていた。

山田屋と川口屋の接待で、国貞も交えて広重は飲む事に。今になってあの頃、国貞が言っていた事が少し分かったと語る広重だが、国貞は何を言ったか覚えていなかった。北斎は今、肉筆画を描いているという。肉筆画は残るが錦絵は飽きたら紙くずだと、国貞は皮肉っぽく笑った。

会が終わって自宅に戻る途中、広重は北斎を見かける。名所絵なんざくれてやるという北斎、自分は一人で絵を描きたい、本物の絵師になりたいと語る。

「人がどう思おうとどうでもいい。だ~れも俺の絵なんざ見なくともかまわねえ」という北斎は、百まで生きても時間が足りない、絵に取り憑かれているのだと自嘲した。そして広重に「おめえも版元の言いなりになって、ケツの毛まで抜かれるんじゃねえぞ。酔っ払ってる間に、すぐにじじいだ」と北斎は笑いながら忠告した。

自宅に戻り、加代に好きな絵を描いたらいいと言われるが、何を描いたらいいか広重は分からなかった。自分はまだ絵師になれていない。そう思っていた。

加代に何か欲しいものはないかと訊くと、昌吉を養子に迎えたいと望む。広重は折を見て昌吉に話すと言い、三人で暮らせる長屋に越そうと約束した。

広重はその後、武左衛門と茶屋で会って話す。武左衛門は昔加代が質屋から出てきたのを見た時、加代から内緒にしておいて欲しいと口止めされていたのを明かす。加代のことをこれから大事にするよう、広重は忠告された

さらに武左衛門は保永堂を紹介してくれないかという。広重は紹介すること自体は構わないが、保永堂は人が一番言われたくないような事を言ってくる男だと話す。すると武左衛門は「一番言われたくねえことが分かるってことは、人の心が分かるってことだ」と納得する。

それを聞いた広重は孫八に言われたことを思い出し、急いで加代のもとへ戻った。自分が本当に描きたいもの、それは加代だと気付いた

別れ

針仕事をする加代をデッサンする広重、その後夢中になって清書を始める。加代は食事の差し入れにやってくるが、広重は存在に気づかず描き続ける。すると加代は頭を押さえてその場で倒れこんでしまう。だが、広重は気づかず絵を描いていた

昌吉が倒れている加代に気付いて広重に知らせ、祖父は医者を呼びに向かう。倒れた加代の頭を膝の上に乗せて、何度も名前を呼びかける広重。やがて薄っすらと加代は目を開けて「承知…」とつぶやく。

加代の絵を描いているから見て欲しいと告げると、加代は柔らかく笑った後に目を閉じた。「このまま逝くなんて、承知しねえぞ…」と泣く広重の膝の上で、加代は安らかに息を引き取った

加代の葬儀が始まり、みな沈み込んでいた。広重は立ち上がり、ふらふらと自分の部屋へ行く。描きかけの加代の絵を見て途方に暮れていると、孫八が訪ねて来た。締め切りに間に合うか見に来たという孫八に、描けそうもないと広重は話す。

こんな時でも慰めの言葉はないのかと怒る広重に、孫八は構わず加代と出会った頃からの話を始める。孫八が加代に亭主は何をしている人かと尋ねた時、加代は迷わず“絵師”だと答えたという。その頃はまだ、定火消と兼業いていたにも関わらず。

どんな絵師なのかと訊くと、流行の美人画や役者絵は優しすぎるし正直だから描けないと加代は答えた。人物の絵はその人の特徴を大げさに描くものだし、ありえない姿勢を取る役者絵を描く事はできないのだという。

孫八が「甘くてバカ正直な、つまらねえご亭主を持って、おかわいそうに」というと、「うるせえ!」とキレる広重。しかし、孫八の目には涙が浮かんでいた。「加代さんは、お加代さんは…ずっと絵師の女房でした」と涙ながらに語った

それを聞いた広重は筆を取り、加代の絵を仕上げ始める。その様子を見た孫八は、すっとその場を立ち去った。

心機一転

加代の死から二ヵ月後、広重は加代と住む予定だった新居に昌吉と越した。そこへ孫八がお安(山本裕子)という女性を連れてやってくる。お安は広重の身の回りの世話をするために連れて来た女中だった。孫八が家に上がり加代の位牌に手を合わせ「申し訳ございません。末永くと頼まれてしまいましたからね」と笑った。

仕事の話なら今は受けられないという広重に孫八は、今の広重に仕事を頼む気はないという。そして「師匠は北斎翁とは違います。歌川広重は仙人にはなれない。ちゃんと人らしくつまらねえ暮らしをしなけりゃ、広重の絵は描けやしねんじゃないんですか?人を描かずとも、人を大事になさいませ」と忠告をする。さらにお安を住み込みで置いてやるよう口ぞえした。

ある日、昌吉とどちらの絵がいいか、悩んでいた。広重はお安に声をかけて見てもらおうとする。自分は絵のことは何も分からないと言って断ろうとするお安だが、広重はそういう人が買う絵なんだからと言って見てもらう。

お安はこっちの絵がわくわくすると言って選んだ絵を改めて見ると、確かにわくわくすると二人は納得した。そんなお安を紹介してくれた、孫八に礼を言わないとと言う広重だが、昌吉から聞いた話に驚いて駆け出す。

広重が保永堂に行くと、孫八はちょうど店を畳んでいるところだった。質屋の兄が米の不作につけこんで、米を買占めしたことがバレてしまい、方々に金を配ったことで金がなくなってしまったという。

広重は「甘いお人だ。腐れ兄貴のために」と笑い、恩返しをさせて欲しいという。自分が絵を描くから保永堂で売ればいいと話す。すると孫八は「相変わらず甘いお人だ」と笑った。

店を閉める理由に借金もあるが、先を見越してのことだと言う。銭を握らせて役人から聞いた話だと、老中の水野は質素倹約を掲げて、華美な風俗を取締りすると言っていた。

つまり、錦絵は格好の餌食になるだろうと孫八は考えていた。だが、役者絵や美人画と違い名所絵は変わらないと思うと広重に言う。絵草子屋は潮時、広重を世に出せた事が一番の大仕事になったと孫八は語る

心残りと言えば広重が描きたかった絵を描かせてやれなかった事だという孫八。広重は未だに描きたい絵は見つからない、描きたいと思ったのは唯一あの時の加代の絵ぐらいだと言う。

孫八は「師匠は甘いお人だから、ご自分のためにはそんなもの、一生見つからないかもしれませんな」と言い、最後に「お世話に…なりました」と頭を深々と下げて笑った。

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ドラマの結末

孫八との別れから16年後、安政2年(1855年)。孫八の見立てどおり、錦絵は不遇の時代を迎えたものの、老中水野が去ると再び息を吹き返す。

そんな矢先、安政の大地震が発生。江戸の町は甚大な被害に見舞われ、見慣れた景色は失われた。雨の中、広重は崩れた町を見ていた。「お前様」という加代の声がどこからか聞こえたような気がし、広重は雨の中崩れた家を見て歩く。

そんな状況でも人々は肩を寄せ合い、雨をしのいで炊き出しの粥を食べていた。そのたくましさを見ていた広重は加代との日々を思い出し、ようやく描きたいものが見つかったと語る

広重は定規を使って雨の線を描き、そうして完成されたのが『大はしあたけの夕立』だった。さらに鯉のぼりの絵が特徴的な『水道橋駿河台』などを生み出す。それらは『名所江戸百景』というシリーズで販売される。

絵を見た人々は地震で崩れた江戸の町が、再建されていくような気分になって喜び、飛ぶように売れた。

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【広重ぶるう】のまとめと感想

広重が成功した裏側には、献身的な妻の支えがあったという話でした。

最初は二足のわらじだった広重ですが、妻の勧めもあって専業絵師になります。そこに保永堂のプロデュース力も加わり、『東海道五十三次』で名所絵の大ブームを巻き起こしました。

孫八は広重をつまらない人間だと評し、そんな広重だからこそ、我々つまらない人間の欲しがる絵が描けると言います。つまり庶民の広重だから、庶民の望むものが分かると言いたかったのでしょう。

一方、北斎はまさに画狂人という名のごとく絵に取り憑かれ、百まで生きても時間が足りないと嘆きます。また、歌川一門の大看板である国貞は、絵を描く事は仕事だと割り切っている人物でした。

そんな同時代に生きた2人に感化された広重ですが、中々自分が本当に描きたいものが見つかりません。ようやく見つけたと思った矢先、加代は亡くなってしまいます。

その後、仕事として様々な絵を描いていった広重は、大地震でまた途方に暮れてしまいます。しかし、崩れ去った江戸の町を絵の中で甦らせ、傷ついた人々の心を癒します。

つまらない人向けの絵を、世界は高く評価している。それだけで、つまらない自分がちょっと誇れるような気がするいい話でした。

キャストもみなさん良く、主役の広重を演じる阿部さんはもちろんのこと、妻の優香さんはとにかく愛らしいです。また、孫八を演じる高島さんの曲者さもいい感じです。

そして何といっても以前NHKで放送された『眩(くらら)~北斎の娘~』でも北斎の役をやっていた、長塚さんの北斎がやっぱり印象に残ります。晩年の北斎話を長塚さん主演で、是非やって欲しいものです。

【広重ぶるう】のいいセリフ

一番言われたくねえことが分かるってことは、人の心が分かるってことだ。

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