【八月の声を運ぶ男】のネタバレと感想|本木雅弘主演の戦後80年ドラマ

スペシャルドラマ
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NHK総合で8月13日に放送された戦後80年ドラマ【八月の声を運ぶ男】のネタバレと感想をまとめています。

戦後から復興し高度成長を遂げた日本で、時代に逆らうかのように被爆者の声を集め続けるジャーナリストがいた。周囲の理解を得られない孤独な活動を続ける中、ある被爆者との出会いに心が揺さぶられる。この声を世間に届けたい、だがその前にどうしても確かめたいことがあり……。

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【八月の声を運ぶ男】のキャスト

  • 辻原保(つじはら たもつ)…本木雅弘
    長崎の放送局出身のフリージャーナリスト
    退職後、キャバレーでバイトしながら、被爆者の声を集める「八月の声を伝えていく会」の代表を務めている
  • 立花ミヤ子(たちばな みやこ)…石橋静河
    辻原のバイト先のキャバレーのホステス
  • 九野の姉…伊東蒼
    九野以外で生き残った唯一の家族。九野をずっと支え続ける
  • 中元重子(なかもと しげこ)…安部聡子
    被爆者。九野に体験を話す女性
  • 白井三郎(しらい さぶろう)…奥田洋平
    辻原のバイト先のキャバレーの支配人
  • 鳥海所長…国広富之
    辻原が通う被爆者団体の所長。辻原に様々な被爆者を紹介してくれる
  • 賀川満(かがわ みつる)…田中哲司
    長崎の放送局の元同僚。退職し現在は「賀川経済研究所」経営コンサルティング会社 所長
  • 恵木幸江(えぎ さちえ)…尾野真千子
    辻原が通う被爆者団体の事務員。辻原に九野を紹介した
  • 九野和平(くの かずへい)〈37〉…阿部サダヲ
    長崎で被爆し、数々の被爆障害を併発。恵木の紹介で辻原と知り合う
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【八月の声を運ぶ男】のスタッフ

  • 原案:伊藤明彦『未来からの遺言―ある被爆者体験の伝記』
  • 作:池端俊策
  • 演出:柴田岳志
  • 音楽:清水靖晃
  • 制作統括:加茂義隆(WOWOW) 尾崎裕和(NHK)
  • プロデューサー:松本太一(WOWOW) 森井敦(東映京都撮影所)
  • 公式HP
  • 公式X
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【八月の声を運ぶ男】のあらすじ

1972年、高度経済成長を遂げた日本で、被爆者の声を集め全国を回る男がいた。長崎の放送局出身のフリージャーナリスト・辻原保(本木雅弘)は、被爆者の声をテープレコーダーに録音し集めていた。

だが、被爆体験を語ることも好まず、ましてや録音して公開するなど、拒絶反応を示す人もいた。中々思うように集まらない声、周囲も辻原のすることが理解できずにいた。

ある日、恵木幸江(尾野真千子)から紹介された被爆者・九野和平(阿部サダヲ)との出会いが、辻原の心を激しく揺さぶる。この声をみんなに伝えたい、しかし公開するには気になることがあり……。

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【八月の声を運ぶ男】のネタバレ

辻原は九野が重い病気を数々患いながら、それでも姉のお陰で歩けるまでになったという話を聞いて感動する。そこで姉の話を九野にしてもらうと、ふと引っかかりを覚えた。

それは別の被爆者から聞いた話では、九野のいた長崎の病院は再建するまでしばらくの時間を要したが、九野はそれ以前にそこにいたかのように話す。

気になってしょうがなくなった辻原は、九野の戸籍謄本を調べると、姉は存在していなかった。そのことを九野に告げると九野は全て本当の話なんだとあくまで主張する。辻原は裏切りにあったような気持ちになり、それ以来九野と接する事はなかった。

自分のやっていることが無意味なのではと、心折れそうになった辻原だが、バイト先のホステスであるミヤ子から話を聞いて気付いたことがあった。それはかつて自分が訪ねにいった被爆者の娘だということだった。

母の声が聞きたいというミヤ子に録音したテープを聞かせる辻原。聞き終えたミヤ子は今後子どもが生まれたら聞かせたいし、孫にも聞かせたいという。世代を超えてテープを聞かせたいというミヤ子の言葉に、今までやってきたことが無意味でなかったと安堵すると同時に、今後も声を集め続けようと辻原は改めて思った。

3年たち九野が病院に入ったという情報が伝わってきた。その晩、辻原は夢を見る。それは九野の夢だった。九野は自分のように入院する病院で同じ被爆者たちの話を聞いていた。その中には姉の話をする者もいれば、母親が死んだ話をする者もいた。つまり、九野は自分とやっていることは変わらないと辻原は気付く。

彼が本当の話だと言っていたのは、確かに本当の話だったのではないか。被爆者たちの声の集合体、それが九野だったのではないかと辻原は思った。

声を集める男

本作はジャーナリスト伊藤明彦の実体験に基づくフィクションであり、戦争を直接体験した人々の声をたどる試みである。

辻原保(本木雅弘)は証言を集めるため中元重子(安部聡子)の家を訪れ、テープレコーダーでの録音を申し出た。重子は録音の話は聞いていない、被爆のことは家族にさえ話していないと戸惑い、集めてどうするのかと問い返す。辻原は「多くの人に伝えられる」とだけ答えるが、「伝えてどうするのか」と重ねて問われると言葉に詰まる。重子はどこかの主義者の団体の人間ではないかと訝しみ、録音などとんでもないと辻原を追い返した

後日、辻原は再び重子の家を訪れ、偶然逃げた鶏を捕まえて渡す。5分でも10分でもよいから話を聞かせてほしいと頼み、重子は「大した話ではない」と前置きして今回は応じた

九野との出会い

時代は1972年、場所は東京。27年前、辻原の故郷・長崎に原爆が投下された。その時彼は10歳だった。

辻原は被爆者援護法要求全国大会の会場へ向かう。会場で恵木幸江(尾野真千子)が、自分の証言に加えて九野和平(阿部サダヲ)の話も聞くべきだと勧める。

九野は長崎で10歳のときに被爆し、被爆障害が重く病院通いが絶えないという。現在も出血性素因、副腎皮質機能障害、無気力症候群、再生不良性貧血、慢性肝機能障害など24の疾患を抱え、80種類に及ぶ投薬を受けており、生活保護を受給している。

まもなく九野が来場する。九野は吃音があり、初対面の相手にはとりわけ症状が強いと語る。医師の判断で取材は1日1時間までとされ、3回に分けて行うことになった。録音は九野宅で実施することとなった

九野は7人兄弟の末っ子で、兄が4人、姉が2人いた。兄姉は軍需工場に動員され、彼はしばしば1人ぼっちだった。その日、父は製鋼場へ、九野も国民学校へ向かったが少し遅刻した。午前11時前、学校で空襲警報が発令され、教師が直ちに帰宅を命じる。

帰ると母に防空壕へ入るよう言われたが、壕の前で鬼ごっこやかくれんぼをしていた。体操が得意で足の速かった彼は、その後壕の中で遊んでいると入口から母に名を呼ばれる。直後、凄まじい爆発音が響いて身を伏せた。その後、見上げると母の姿はどこにもなかった。這って壕の外に出ると、吹き飛ばされ泥まみれの人々が多数横たわっていた。

山の上の自宅へ行くが、家は丸焼けで近隣も焼失している。晴れていた空にはガスのようなものが立ちこめ、浦上天主堂は正面だけが残り裏側は落ち込んでいた。

頭から離れない光景がある。赤ん坊を抱いた母親が道端で息絶えかけながら、牛乳瓶を口にはめて子どもに飲ませており、子はごくごく飲んでいた。

黒焦げで裸の人々が列をなして通る中に姉たちがいるのではないかと思い、列に加わって探したが見つからない。近所の人に顔が血だらけだと声をかけられ、岩屋山の麓の救護所へ連れていかれる。そこは言葉にできない光景だった。眼球がぶら下がり、皮膚が垂れ下がった人々が次々と運び込まれてくる。

九野の様子が辛いのを察し、辻原は休憩を入れる。飾られたレコードに目をとめてクラシックは聴くのかと問うと、九野は第九が好きだという。辻原は自分は演歌が好きだと言い、「アンコ椿は恋の花」を口ずさむ。九野は笑い、場の空気が和らいだ

始めたきっかけ

九野は辻原に「なぜこういうことを始めたのか」ときいた。辻原は放送局在職中に被爆者を取材してラジオで流す仕事をしていたが、上司と衝突して左遷され番組を降ろされてしまう。その後、意地になって局を飛び出し、一人で被爆者の声を集め始めたと述べる。

録音をいずれ公開する意図はなかなか理解されなかったという辻原、「自分は理解する」と九野は応じた。胸に積もった話が多いという九野に、「それを話してほしい」と辻原は頼み、インタビューは予定を30分以上超えて続いた

九野は救護所に預けられたのち、被爆者特有の強い倦怠感に襲われて、長崎医大病院へ移された経緯を語る。生存したのは2人の姉のうち下の姉と自分だけ。自分は長く寝たきりで、以後ずっと姉がそばについてくれた。

取材を終えて辻原が去った後、九野は家でおかゆを食べる。姉に「何かいいことがあったのか」と問われ、「とてもいい人に話を聞いてもらえた」と答える。

不意の強風で毛糸玉が転がり、九野は畳を這って取りに行く。姉が手を貸そうとすると「僕がとる」と制して自ら掴み上げ、手渡しながら「病院の床を這い回っていた頃を思い出す。何ヶ月も体が床と1つになるくらい、這いずり回って…」と漏らす。

姉は「かずちゃん、ようがんばった」とねぎらうが、九野は「自分は姉さんを困らせるだけでなく、姉さんを働かせて自分は床に転がっていた。それなのに姉さんを怒鳴った」と言って崩れ落ちる。姉が「大丈夫」と支え、九野は小さくうなずいた。

友の話

辻原はキャバレーでホステス相手に手品を披露していたが、開店時刻になると持ち場についた。支配人の白井三郎(奥田洋平)から「社員にならないか。頭がいいのにもったいない」と誘われるが、彼は夜だけ時給四百円のアルバイトとして働き続け、疲労困憊でアパートへ戻る。

部屋には放送局時代の同僚だった賀川満(田中哲司)がいた。管理人に金を渡して鍵を開けさせたという。賀川は会社を辞め、経営コンサルティング会社を始めたと告げ、「一緒にやらないか、一生やることではないだろ」と辻原を誘う。しかし辻原は誘いには乗らず、いま被爆者の声を200人集めた、まず1000人を目標にしていると語った。賀川が「集めてどうする」と問うと、「図書館や学校に渡し、大勢に聴いてもらうつもりだ」と答える。

賀川は自らの記憶を口にする。実家は広島の山奥で、原爆の日に父に連れられて市内へ入った。停車した電車の中は家を焼かれ半死半生の人であふれ、天井も壁も真っ黒だった。よく見ると一面がハエで、ハエまでもが逃げ込んでいたという。

「あんな嫌な風景はない。今さら人に言いたくもないし、今どき誰も聞きたくないだろ」と吐き出す賀川に、辻原は「言うべきだし聞くべきだ」と返す。続けて自分も長崎で見たと語り始める。金比羅山の東側にいたため直撃は免れたが、爆心地をすぐ後に目にした。かつて鳥が巣を作り遊んだ丘の上の木は、真っ黒に焼けていた。

賀川は踵を返し、「お前はいいやつだが愚かだ。必要なのはこの先のことだ、古い話ではない」と言い残し、「また会おう」と去った。

九野の姉の話

辻原が九野の家を訪れると、九野は第九を大音量で流し、来客に気づかないでいた。クラシック好きのきっかけは昭和29年、東大病院に移されたとき、看護婦が枕元で弾いたヴァイオリンだったという。曲はシューベルトの失恋の歌であった。

九野はそれまで9年間、長崎医大に入院していたが、東大の医師が診に来て「これからはうちでみる」と言い、飛行機で運ばれた。入院費は姉が必死に働いて賄ったが、それでも自分は何もできなかったと九野はうつむく。辻原が姉について語ってほしいと促す

姉は強い人だった。家族も家も失ったあと、「いっそ一緒に暮らそうか」と病院にござを敷き、支給の毛布をまとって寝泊まりした。学校で習った編み物をしてはどこかへ売りに行き、入院費を工面した。

外の様子もよく話してくれた。焼け跡にトタン屋根のバラックが建ちはじめたこと、進駐軍が来て親切にしてくれること。ときどき土産も買ってきて、体が元に戻るようにと手を伸ばさないと取れない位置に持って渡そうとしたりもした。

だが2年たっても4年たっても体は動かない。やがて九野は外の話を聞くのも嫌になり、窓の外を見たくないと怒鳴ってカーテンを作らせたり、砂糖の欠乏を知りながら駄々をこねてねだった。姉は黙って涙を浮かべて出ていき、看護婦からは「廊下で泣いていた、あまりお姉さんをいじめないように」と告げられた。

姉は20歳で白血病に倒れた。被爆による病を、ずっと弟に隠していた。「かずちゃん、諦めちゃいけん。きっと歩けるようになる。私も一緒に歩く。約束よ」と手を握り、2日後に息を引き取った。亡くなったその日のうちに骨が届けられた。

姉の生涯をどう思うかと問われ、「その問い自体が残酷だ」と九野は言う。自分も被爆しているのに、姉は働きづめで、弟の行く末を案じたまま力尽きた。どうしようもない現実だ。それでも姉は今も自分の中に生きていて、「歩け、前へ進め」と背を押してくれるという。

九野はさらに語る。転院後、寝たきりではだめだと決め、病院の床を這い回った。医師たちを困惑させながらも、やがて車椅子に乗せられ、リハビリが始まった。6年を費やしてようやく歩行にたどり着く。長崎と合わせた入院生活は15年に及んだ。

退院して社会に足を踏み入れたのは昭和35年の初夏。働きながら考えた。被爆がなければ、こんな苦労もなく普通に暮らせたのではないか。なのに、なぜ人間は戦争をし、原爆を落とすのかと。

辻原は最後に、九野の声をできるだけ多くの人に届けると約束した。

違和感

辻原は自宅で録音を確認し、ふと棚のほかのテープも再生する。そこで「長崎医大が再開したのは5、6年たってから」との証言に行き当たり、辻褄が合わないと感じる。記憶違いの可能性を含め確認が必要だと考え、恵木に連絡する。

恵木は九野の長崎時代は知らず、東京に来てからしか接点がないという。ただし、生活保護の手続きで関わった人が戸籍謄本を福岡の本籍地から取り寄せたこと、九野が「兄がいる」と話していたことを覚えており、家族はいないと聞いていた恵木には意外だった。辻原はその担当者の名前がわかったら知らせてほしいと頼んで後にする。やがてデモ隊の列に九野の姿を見つけるが、すれ違っても九野は辻原に気づかなかった。

数日後、鳥海所長(国広富之)が長崎で被爆した別の人物を紹介してくれた。辻原が巡った場所に地図上で無数の印が付いているのを見て、鳥海は旅費の負担に感心する。辻原には資金がなく、賀川の会社の前で立ち止まる。もし、彼から借りれば心が滑り落ちると感じて、社屋の前まで行きながら中に入らず引き返した

やむなくアルバイト先で前借りを願うが断られ、ホステスの立花ミヤ子(石橋静河)が興味を示して目的を話すなら貸してもよいと言う。辻原は鳥海に教えてもらった人物へ会いに鹿児島へ向かうが、取材は連日断られた。移動のバスの中で九野の語りが頭から離れない。

そこで福岡県の津隈郡役場へ赴いた辻原は、葛藤の末に九野の戸籍謄本を確認する。記載は「長男・昭一、次男・和平」で、姉の欄はない。戦後も両親が存命だったこと、兄が今も生きていることが明記されており、姉に当たる人物の記録はどこにもない。九野の語った家族像と、戸籍に示された家族の実像が決定的に食い違っていた。

決別

辻原が九野の家を訪ねる途中、九野は煙突にのぼって風船を取ろうとしていた。ようやく風船をつかんで降りてきたが、その場で倒れ込み、人々に抱え起こされる。風船を子どもに手渡すと拍手が起きた。

公園のブランコに並んで腰掛け、辻原は国会のデモで見かけたと話すと、九野はしばしば参加しているという。自分は一生歩けないと思っていたが歩けるようになった。風船も取りに行けた。風船を手にしたとき、空が近くに見え、空は平和だとわかった。この空を見るために歩けるようになったのだと思うと嬉しくなり、世の中を変えなければと思ったという。

その後、九野の家で向き合う。辻原が今日は録音機を持っていない理由を問うと、前回で十分に話を聞けたので今日は雑談にしたかったと答えた。九野は上機嫌だが、辻原は胸中に重さを抱え、ついに切り出す。

かつて録音テープを図書館に預けたが、一年後に訪ねると箱の封すら切られていなかった。今の日本でこうした話を聞きたい人はどれほどいるのか。しかし九野に出会って心を打たれ、続けようと思い直した、と。加えて、語りの中で詳しく確かめたい点があるといって、姉の名を問う

九野は動揺し、レコードプレーヤーに向かう。ショスタコーヴィチの「森の歌」をかけ、「一緒に聴いてほしい」と誘う。辻原はかばんから九野の録音テープを2本取り出し、「これだって、聴けば誰でも感動しますよ」と示して、レコードを止める。

ここへ来る途中、九野長く入院していた病院を訪ね、主治医に話を聞いた。あなたが重い症状で長く苦しんできたことは間違いない。だが、最も胸を打たれた姉の名前がわからない。ひょっとして、あなたが想像で作った姉の話ではないかと、辻原は率直にたずねた。

九野は「全部本当の話だ」と否定する。そして床を這って進むと、いつも小さなクモがいた、と回想する。巣を壊されてもまた張り直す。どれほどひどい目に遭っても、明日を生きるために。自分もそのクモのように生きたい。新しい糸を出しつづけ、明日を編んでいきたいのだと。

辻原が苛立ちまじりに「本当に聞きたいのはそこではない」と切り込むと、九野はなおも「話は全部本当だ」と主張し、辻原への敬意と、話を聞いてくれた感謝を述べる。被爆者たちと長いあいだ同じ病院にいて見聞きしたことは、自分と皆が一緒で、皆が一緒なのだと伝えたかったのだ、と。さらに声を荒らげ、「だから僕の話は全部本当なんだ、本当にあった話なんだ」と訴える。

辻原は沈黙したまま、九野はレコードをかけると音楽の音量を上げる。辻原は録音テープを手に、何も言わずに家を出た。雨の中、ブランコに座って項垂れる辻原。一方の九野は音楽に酔いしれ、やがて膝から崩れ落ちた。

繋ぐ声

辻原は約束どおり、ホステスたちの飲み会に顔を出してから店を出た。後をつけてきたミヤ子が横に並び、支配人が「彼は変わっている。原爆被害者の話を聞いて回っている」と言っていたと伝える。

ミヤ子は広島の出身で、何年か前に母の話を録音させてほしいと機材を抱えた人が来たという。ミヤ子は吉浦へ行ったかときくと、母の名が竹本ハルだと明かす。辻原は録音の記憶を呼び起こし、ミヤ子が竹本ハルの娘だと知って驚く。母は二年前、白血病で亡くなったという。録音は残っているのか、いま聴けるのかと問われ、辻原はうなずく。

辻原は自宅にミヤ子を招き、テープを再生する。母の声が、出汐で被爆したこと、軍服を縫う工場があったことから語り始める。全身血だらけになり、腹の子だけが気がかりだったこと。結婚してすぐ夫は南方で戦死し、子が無事に生まれたときの歓び。この子と生きていこうと決めたこと。

戦後、被爆者への差別があり、仕事にも就きにくかったため、被爆の事実を誰にも言わなかったこと。娘にも黙っていたが、学校の健康診断で白血病を疑われ、申し訳なさに押しつぶされそうになったこと。精密検査で否定されて胸をなでおろし、しかし本当のことは伝えねばならないと思い、中学生の娘に被爆の影響があるかもしれないと頭を下げて謝ったこと。

その数々の話をミヤ子は静かに涙を流しながら聴き続けた。

聴き終えたミヤ子が部屋から出てきて、外で待っていた辻原に深く礼をする。表情は晴れやかだった。結婚を考えている相手がいると言い、子どもを授かったらこのテープを聴かせたいし、孫が生まれたらその孫にも聴かせたいことを告げる。なぜなら、こうして自分たちは生まれてきたのだと、はっきりわかるからだ、と。そしてテープをずっと残しておいてほしいと言い、「ありがとう、また明日」と帰っていった。

こういうこともある。だから、また続けようと辻原は思った。

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【八月の声を運ぶ男】の結末

実際の被爆者の声が流れる。祈りを忘れるほどの衝撃で、祈りにすらならなかった、と語る声だ。

3年が過ぎたある日、九野が入院したという知らせが届く。もう一度会いたいとも思ったが、もうこのままでいいとも思った。九野のテープは処分していない。それを見ながら考える。

その夜、九野の夢を見た。九野は病室で隣人の話に耳を傾け、廊下を歩きながら見知らぬ姉と弟のやりとりを見つめ、また別の人物から姉が白血病だと語る者の話を聴いている。夢の中の九野は、多くの被爆者の声に身を浸していた。かつて自分が被爆者を訪ね歩いたように

そうかもしれない、九野の中には多くの被爆者が住んでいる。それを彼は正直に伝えたのだ。九野にとっては、すべて本当の話なのだ。

昔の人は、恐ろしいものを鬼として語り、後の世に渡そうとした。九野も九野なりにそうしたのだ。ならば自分は千人の声を集め、同じことをやる

辻原は久しぶりに長崎へ戻った。丘の上で丸焦げだった木は、いま青々としている。幹に手を当て、あの時どうなったのかと思い、鳥たちの名をそっと唱えた。

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【八月の声を運ぶ男】のまとめと感想

被爆者の話を集めていた中で、出会った人物に裏切られたと思ったが、彼もまた自分と同じだったのではないかと気付いたという話でした。

戦後80年を迎え、被爆者の人たちも年々亡くなっています。そうなる以前から、日本の景気が良く浮かれていた時代に、被爆者の話を録音という形で集めていた人がいました。時代が時代なら、映像として残していたのかもしれません。

当時の人は彼をどう思ったのか、あまり好意的ではなかったような雰囲気です。しかし、その中で辻原と出会い、生きる気持ちをさらに強めた人がいました。被爆者の九野は数々の病気を抱えながら、それでも前を向いて生きてきた人でした。九野を演じる阿部さんの演技はとても印象的で、対する辻原の静謐な感じも良かったです。

そんな九野に感動した辻原ですが、九野の話は全て実体験ではなかったと分かり裏切られます。九野はそれでも本当なんだと主張しました。その理由が最後に辻原の夢という形で分かります。きっと九野が被爆者から聞いた話だったのだと。

実際話してくれた人たちの中にも、記憶違いもあったりしたでしょう。九野の話は実体験ではなかったですが、体験した人の話を語っていたので確かに本当だったのかもしれません。勘違いしそうになりますが九野自身、本当に被爆者だったことには変わりありません。

自分も今は亡き祖父母から聞いた戦中戦後の話を、毎年夏を迎えると思い出します。長い歴史の中、残ったものと残らなかったもの。それは語り継がれたかどうかの違いなのかもしれません。そして辻原の録音は、これからも語り継がれるのだろうと思いました。

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